藤原先生、ちょっと言いすぎではありませんか

本日付の産経新聞朝刊2面に「国家の品格」の著者・藤原正彦先生の談が掲載されています。連載記事「ライブドアショック」としてのもの。
「”堀江流”支持こそ大問題」
概ね、藤原先生のお話には納得できるのですが、そこまで堀江貴史という人が、社会に受け入れられていたのかとなると、私は違うと思います。恐らく藤原先生も、堀江氏と直接の面識はなかろうと思います。会いたくもない人物だろうと思います。それは実は私も同じ。見たくもないし、友達になんかなりたくない人物です。しかし、テレビや新聞などのマスコミに出るのだから、否応なく見ざるを得ません。我々が堀江氏を見ているときは、拍手喝さいで見ているのではなく「何か嫌なやっちゃなぁ」と思って見ているわけです。
要するに、社会の中のごく一部だけが堀江万歳と言っただけのことであって、大多数の国民は「鬱陶しい」「自分とはかかわってくれるな」と思っているだけのこと。いわば、新手のヤクザだと思って見ていたわけじゃないかと思います。
さて、藤原先生のご意見に多少反論させていただきます。

一所懸命勉強し、それなりの学校を出ても新規採用は少ないし、大企業に就職しても、安定も得られず、いつ解雇されるかわからない。それなら、コツコツ勉強したり地味な仕事を続けるより、IT寵児でも狙った方がよいという風潮が蔓延ることになります。

私はここは大いに違うと思うのです。こういう世の中だからこそ、自分にとって「飯の種」になる技術をしっかり磨くことが大事なんです。会社側に簡単に辞められては困ると思わせるような、しっかりとした技術と知識を持った学生を送り出すのが、教育の役目なんです。IT寵児になっても、技術がなければひっくり返るということを、このライブドア騒動は教えてくれたと思います。特に藤原先生は大学の教員です。私もボンクラ大学生をやっておりましたから、よくわかります。大学生というのは、少なくとも4年間、ほとんど勉強しません。で、最近は理系の学生は普通に大学院に進学する。ここで初めて、研究とか勉強らしい勉強をする。私は今、会社で採用担当を兼ねていますからよくわかるのですが、本質的に今の就職活動の形態はおかしいと思っています。まだ論文も書いたことがない連中が、「熱意」「やる気」をアピールしにやってくる。採用担当は「人物」を見ることが仕事だという。これはおかしい。本来は、就職活動は卒論を書き、その卒論を持って活動すべきです。就職活動をまだ論文を書かない春に行い、内定をもらうと、半年間遊び、秋が深まって冬が近づいてからやっと論文を書き始める。こんなことでは遅すぎます(自分を省みて言っているのです)。藤原先生も教育者の端くれなのですから、大学をはじめとした公教育の責任をもっと感じて欲しいところです。企業は放っておけば、下手したら卒業の2年前からでも採用の手を伸ばします。それこそ市場原理で動く世界の住人だからです。それならば、大学側が何とか手立てを打って欲しい。大学側が「ウチの学生の就職活動は、学生が論文を書き終えてからでなければ認めない」と言うべきです。私学は無理でも、国公立大はそうすべきです。長い目で見れば、青田買いを認める大学と、そうではなく論文を書かせてから就職活動をさせる大学と、どちらが優秀な学生を輩出できるか、明らかだと思います。

現在、OECD経済協力開発機構)加盟三十カ国の中で貧富の格差のもっとも大きな国はメキシコ、次いでアメリカです。日本は何番目だと思いますか。かつて国民総中流といわれた国が、あっという間に世界で五番目に貧富の格差の大きな国になってしまったのです。

では、かつて日本はどうだったのか。昔から五番目だったのかも知れませんが、これを読む限りはよくわかりません。ただ、この藤原先生の認識は、あまりにも情緒的です。これに対する反論の代わりに、愛読させて頂いている「泥酔論説委員の日経の読み方」さんより引用させていただきます。
「「格差」で改革を止めるな」(「泥酔論説委員の日経の読み方」より)
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=329372&log=20060203

つい先ごろまでは一億総中流、日本こそ世界一の「社会主義国」だなどと揶揄を飛ばしていたマスコミは、今度は一転してあまり根拠もなく「格差社会」と騒ぐのは一体どうしたことなんでしょうか。
一夜で株長者だ、自家用ジェットを持っている、女優を奥さんにして豪邸を買った、まあ昔からそんな人は枚挙の暇も無いほど居ますよね。
一方でフリーターだニートだと呼ばれる人もいますが、これにしても「お仕着せでなく、自分に合った人生を作る新しい生き方だ」とメディアは盛んに持ち上げていたことを思い出します。
下流社会』という本も売れていると聞きますが、ちょっと自虐的過ぎるんじゃないかと思います。
所得格差があるのかないのかと言えば、資本主義経済ならそりゃ当然あるでしょう。
しかしその格差の大小を諸外国と比較すると、そんなに酷いって程じゃあないという話です。
スウェーデンは何故ジニ係数が低いかと言えば、それは税金を重く課すことで所得の再分配を行っているからで、その分「格差」は固定化されてしまってます。
流石、格差の大国アメリカは0.375と断然トップですが、変動も大きくて貧乏人が大金持ちになったり、逆もあったりとダイナミックな社会なんですね。
日本は大体EU並みで、あまり大騒ぎする程ではないと言う所でしょう。

藤原先生もこの辺の議論は、ちょっと感情論的になっているように思います。警鐘を鳴らす、という意図はよくわかりますけれどね。泥酔さんも仰るように、株長者だの土地成金だの、手法は違えど突然大金持ちになる人は、昔からいるわけで、それがたまたまITだったと見るべきでしょう。
藤原先生には、ぜひ、学生さんに「技術、能力、知識を磨け」と教え、大学がもっと簡単に学生さんを卒業させないように、厳しく教育を施して欲しいと思います。