抑止効果ってのを朝日は知らないのかな?

朝日が、連続転落殺人事件について、こんなタイトルの社説を書いています。
男児殺害 カメラだけでは防げない」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060403.html
で、社説の中でこんなことを書いています。

マンションのような共同住宅は一戸建てより安全と思われがちだ。ところが警察庁の調査によると、中高層の共同住宅では年間10万件を超す犯罪が起きており、殺人や強制わいせつなどの発生率は共同住宅のほうが高い。
防犯対策として、死角になりやすいエレベーターや自転車置き場に防犯カメラを置くところが増えている。事件現場のマンションも、ことし3月にカメラを設置したばかりだった。商店街などの防犯カメラには、監視社会化になるとの批判がある。だが、共同住宅は住民の私的な場だ。みんなが合意すればカメラを設置するほうがいい。

さて、ここで出てくる「監視社会」に著しく反対してきたのは、他ならぬ朝日新聞です。
「朝日と読売の記事比較 その8」

警視庁の設置した監視カメラが着々と成果を上げていることを垂れ流す読売です。さすが警察の犬、公安の手先の読売。警視庁のやることを前向きに、しっぽを振りながら掲載です。
対して朝日、2月のカメラ設置の時点から、プライバシー侵害のおそれとしてカメラ設置に対してネガティブな点を強調していました。当然、こんな記事は書きません。朝日では指紋検出が犯人検挙に結びついたことは決して報道しませんが、監視カメラも同様のようです。
通信傍受による犯人検挙も、「通信傍受がなくても検挙できた」といった反論を強調した朝日。間違っても警察のお手柄を垂れ流すような愚挙はしません。犯人検挙は「市民の協力」によるというストーリーでなければならないのです。
どうして朝日が街頭カメラにネガティブなのかを考えてみました。記者の活躍を街頭カメラにとられたくないからかもしれません。過去朝日の記者が街頭で行った活躍を思い出してみましょう。
歯科医に侵入した渡辺和彦松本支局員、路上の車に石で傷を付けた内藤好之学芸部記者、無賃乗車をしようとしてタクシー運転手に暴行した古屋聡一経済部記者、駅前で下腹部露出魔を演じた加藤芳浩広告第五部次長、駅前で知らない女性のスカートをまくって尻を触った永島学外報部記者、駅前で知らない女の体を触りまくった西村章容元朝日新聞社部長、等々.....
街頭カメラに対し朝日新聞が「プライバシー侵害の恐れ」とかみつくのは当然かもしれません。なによりも朝日新聞記者のプライバシーが侵害されかねませんから。
http://www.asahicom.com/yoas8.htm#a277

まあ、この引用もかなりジョークがキツイのですけれど、ともかく朝日新聞はこれまで、監視カメラだけでなく、警察官の増強についても、市民を監視下に置くものとして、強く反対してきました。
しかし、よく考えてみると、この手の犯罪は、ある意味、起きるべくして起きていると、私には思えます。
例えば、戦前までは、日本人の社会は基本的にもっと狭いものでした。ですから、普段、顔を合わせる人のほとんどは「知っている人」でした。ですから、そこに「見知らぬ人」が入ってくれば、すぐにわかったものです。また、お互いが「顔見知り」の社会は、裏を返せば、監視カメラはないけれど、監視社会そのものです。○○さんところの××くんが、何をしていた、なんて話はすぐにその社会に伝わる。そういうところでは、何か悪いことをしようと思っても、周囲が抑止する力が働きます。
ところが、高層マンションが立ち並ぶ、いわゆる「都市化」した地域では、ほとんどとは言わないまでも、半数くらいは「見知らぬ人」という状態なのですね。つまり、監視されない人がたくさんいる、という状態なわけです。
となると、警察なり監視カメラなりで監視しておく必要はあると、私は思います。監視しているぞ、見ているぞ、何かあったらすぐに捕まえるぞ(できればそれに加えて、厳罰が待っているぞ、までが望ましい)、という状況を準備しておけば、こういう犯罪はゼロになるとは言いませんが、抑止効果はあります。
そういうある程度の監視が行き届いていなければ、朝日の社説にある次のような行動も、そう簡単には取れないはずです。

見知らぬ人がいたら、声をかけてみるのがいい。悪いことをしようと思っていても、正面から顔を見られれば、ためらうものだ。

相手が殺人をするかも知れない、という状況で、そう簡単に声をかけられるものなのでしょうか。相手が麻薬常習者でラリっていたりしたら、どうするんでしょうか。少なくとも、誰かが見ていてくれている、という状況であれば、できなくもない気はしますがね。