少しは真面目に考えよう

昨日、経済同友会から首相の靖国神社参拝中止の提言が出されました。国会議員にも言論人にも同じことを言う人が多数いるので、今さら驚きませんけど、その態度の不真面目さには呆れるばかりです。以下、何故、彼らが不真面目かということを論じてみようと思います。
1)日本国憲法への不真面目
靖国神社への信仰心を持たない人がいることは、それはそれで当然のことであり、そこを認めるのが、日本国憲法に定められた信教の自由です。私は個人として靖国神社信仰を持ちますが、これを他人に強制する気は毛頭ありません(ただし、参拝した方がいいよ、と推奨することはしますが)。しかし、靖国神社参拝に反対する人は、この逆を堂々やっているわけです。
日本では、戦前と同様に、三権の行使者はすべて国民から選ばれます。国会議員のように選挙で選ばれる者もあれば、その他の公職のように試験を通過することによって選ばれる者もあります。しかし、どちらも結局、国民から選ばれるのであって、シナ共産党政府のように「指導者」と国民が乖離しているわけではありません。つまりは、首相に靖国神社参拝を中止せよ、ということは、自分の隣人に同じことを要求しているのです。自分の隣人が、次の総選挙で当選し、内閣総理大臣になる可能性だってあるのですから。日本国憲法に定められた主権在民と信教の自由の保障とは、そのことを意味しているはずです。
また、靖国神社参拝反対派は、同時に国立の無宗教の代替慰霊施設の建設を要求してもいます。これも、不真面目な態度と言わざるを得ません。死者を慰霊する行為は世界のいかなる場所に行っても宗教的な儀式でしょう。そもそも宗教とは、人間の生死は何のためにあるのかを説いたものだと思います。それならば、死者の追悼、慰霊は間違いなく宗教の領分でしょう。つまり、国立で戦没者の慰霊施設を作り、国がそれを管理することは、国立宗教を立ち上げることに他ならないわけです。他の解釈ができる余地はないと思います。しかし、国家が特定の宗教に介入することを憲法が禁じている以上、国立の慰霊施設が憲法違反であることは否定できますまい。つまりは、憲法を軽んじる姿勢であり、不真面目な態度を言うしかありません
2)慰霊の姿勢の不真面目
彼らが靖国神社への参拝では戦没者の慰霊が出来ない、と考えることには問題はないと私は考えます。それならば、そう考える同志を募り、彼らの私財から浄財を集め、自分たちが納得できる形の慰霊施設を作ればよいと思います。それが私財の成すものである限り、これを行う自由を憲法は保障しています。私財を投じるつもりはない、税金を使って作れ、というのは、憲法問題を譲ったとしても、本気で慰霊をするつもりがあるか、と私は疑います。靖国神社に参拝する方々の多くは、賽銭という形で私財を投じているわけです。その浄財によって、靖国信仰は維持されているのです。国に建立金をたかるような人たちが表す「慰霊」や「追悼」に何の意味があるというのでしょう。あるとすれば、政治的なポーズでしかありません。
「慰霊」の意思を表すために、国民の税金にたかろうとする姿勢は、亡くなられた方々に対して大変不真面目は姿勢であると、私は考えます。
3)先人への不真面目
日本人は何事も「水に流す」のを美徳と考える側面があります。しかし、これは一方でこの問題に大きな影響を与えていると私は思います。
シナ共産党政府や南北朝鮮は、「A級戦犯」というものを持ち出して、参拝を非難し、これに国内の靖国反対論者まで同調している始末です。過去を水に流す風習がなく、墓を爆破するようなことまでやったり、歴史を堂々と捏造するような人々が「A級戦犯」云々言うのは、彼らのオツムの悪さを露呈しているだけで、別段、真面目に取り合う必要はありません。しかし、相手が日本国民である場合には、これは重大な問題だと思います。
まず、日本ではすでに法的にあらゆる「戦犯」が存在しません。これは、以下の国会決議に基づいています。

1952年6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF#.E5.90.8D.E8.AA.89.E3.81.AE.E5.9B.9E.E5.BE.A9.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6
(リンク先に、国会決議の議事録がリンクされているので参照されたし)

そして、この決議をもって、サンフランシスコ講和条約東京裁判の事後処理について定められた唯一の国際条約)第11条に基づき、赦免されています。
つまり、日本どころか世界のどこを探しても、戦犯とされる人は法的に存在しないということです。先人たちが、彼らの名誉回復のために行った努力を「水に流し」、たかが「私の考え」程度で否定し、法よりも高みに置こうとする姿勢は、特に立法府の構成員たる国会議員において、不真面目極まりありません。
4)不真面目な者の言論を真面目に扱ってはいけない
シナ共産党政府や朝鮮半島には、お国の事情があるでしょうから、笑って放っておくしかありません。ただ、日本と仲良くしたいという気持ちが本当にあるのなら、もう少し考えて欲しいと思います。
それ以上に問題なのは、これに同調する日本人の扱いです。
憲法に対して不真面目であり、追悼・慰霊という姿勢も不真面目であり、先人たちの努力にも不真面目である彼らの言論を、真面目に扱ってはいけません。むしろ、笑いの種として扱うのが適当であると思います。面白いことに、靖国参拝反対派の多くは、護憲派と重なるというものがあります。日本国憲法金科玉条のように崇めながら、実際にやっていることは日本国憲法を蔑ろにしているのですから、やはり笑いの種なのだと思います。
もし、靖国反対派が、日本国憲法を改正し、信教の自由を削除し、国立宗教を認めるべし、と主張すれば、私は真面目に彼らと議論したいと思います。また、「戦犯の赦免手続きは間違っていた」として、上記の国会決議を廃案にし、東京裁判関係諸国に戦犯再認定の手続きをすべきである、と主張されるのであれば、私は真面目に議論をしようと思います。
それまでは、喜劇の一つとして、笑い者にさせて頂くことにいたします。