アメリカにいるシナ人と日本にいるシナ人

日本にいるシナ人言論人と、アメリカにいるシナ人言論人は、大きな差があります。アメリカでは、反共産党政府の人が多く、日本では共産党政府の手先のような人しかいない。一体、これはどういうことなんでしょうね。
さて、本日の産経新聞朝刊に、在米のシナ人ジャーナリストである寥建明氏の靖国参拝に関する論文が掲載されていますので、紹介します。寥氏は香港出身の在米ジャーナリストです。
靖国参拝中止要求 中国 真の狙いは「日本の服従」」(産経新聞6.14付朝刊総合面)

中国は日本の小泉首相靖国神社を参拝するたびに、「日本の侵略戦争の美化や軍国主義の復活」だと糾弾し、「13億の中国人民の感情が傷つけられる」とも非難する。だがこれほど事実から離反した主張もないだろう。
日本が戦前戦時とはすっかり変わり、平和主義的、民主主義的な国家になったことを無視して、中国は「侵略や残虐行為を悔いない日本」という絵図を描くことに努めてきた。その時々の日中間の交渉の対象となりそうな対立案件について譲歩を奪い取るために、いつも日本側の戦争への罪の意識を最大限に利用してきたのだ。
小泉首相あるいはその後継の首相が対中関係を良好にするという目的で中国側の要求に従って、以下の行動をとった場合を想像してみよう。
第1は靖国にもう決して参拝しないと言明すること。第2は日中間で摩擦が起きるたびに過去の戦争での侵略や虐殺を謝罪すること。第3は中国が不快だとする歴史教科書はすべて禁止することである。
日本が中国にこうした土下座同様の行動をとれば、中国は過去をすべて水に流し、日本を決定的に許すだろうか。答えはノーである。「日本は十分に悔いてはいない」と主張するだろう。日本が国連安保理の常任メンバーになることにも依然、反対する。中国の潜水艦は日本の領海に侵入してくる。そして日本が中国に十分、追従していないとみなされたときには、昨年春のような反日デモはいつでも起きてくる。
私も数年前に靖国神社を訪れたことがある。その際、私は自分のしていたことを明確に理解していた。小泉首相も述べるように「平和のために祈った」のだ。私もA級戦犯が240万の他の霊とともに合祀されていないほうがよいとは思う。だがその合祀を含めて靖国で単に祈りをささげれば、私は自動的に日本の軍国主義の支持者となるのか。そんな考えはナンセンスだ。
私は靖国神社への抵抗はないが、遊就館の展示には他国民への侮辱が含まれていると思う。その展示の一部は日本の戦争の動機を美化し、過誤の行動をごまかし、戦争の歴史を歪曲して提示している。中国政府の非難を正当化してしまうような内容があると思う。しかし遊就館靖国神社同様、民間の基金で運営されている民間の施設だ。
中国が日本に対し真に抑えつけたいことは「歴史に関する苦情」に偽装されているが、実は日本がノーと言える国になることである。日本が自己主張を明確にすることだ。このことは小泉首相が日本を「普通の国」にしようとする熱望の枢要な点だろう。日本がそうなれば、日中関係にも新たな要素が注入されることになる。となると、中国はもはや中華帝国のように振る舞い、日本にいつも弱気な追従をさせることができなくなってしまう。中国共産党がその過酷な支配下で日本の占領下でよりも多くの中国人民を死へと追いやった事実から顔をそむけながら、日本に向かって、正直な歴史を語ることを求めるとは、なんという倒錯だろう。

遊就館に対する見解は私と一致しませんが、それでも「民間の施設」であるということを明確にした辺りは、さすがは香港出身のジャーナリストだと思います。国家がそこには介入してはならないラインだ、ということを書かれているわけですね。
もちろん、日本を中華帝国支配下に置く、という選択肢もあっていいとは思う。でも、私はそれを取らない。それが日本に幸福をもたらさないことは、歴史が物語っていますからね。私は、この部分では福沢諭吉の「脱亜論」の支持者です。