クーデターを考える

今日、タイでクーデターがあったらしい。
「なぜ起きたタイクーデター 今後も事態は流動化」
http://www.sankei.co.jp/news/060920/kok009.htm

タイで19日夜起きた軍によるクーデターは、タクシン首相に対する辞任要求運動が高まるなかで、権力の座に踏みとどまろうとするタクシン首相に対する不信感の強まりの裏返しであり、軍が首相の外遊を狙って一気に首相を政界から追放することを狙ったものだ。これで、混乱を極めたタイの政治は、機能不全に陥ってしまったといえる。国民の間では今後、事態の収拾に向けたプミポン国王の役割に期待が高まりそうだ。
タクシン首相は4月に行われた下院選の直後、プミポン国王に拝謁(はいえつ)し、新国会で首相指名を受けないとして退陣する方針を表明した。しかし、選挙は無効、やり直しとなった。その後、首相は自身の退陣について、明確な態度を示してこなかった。この間、首相は国王の側近であるプレム枢密院議長らを批判する発言を繰り返し、首相と議長との確執も取りざたされてきた。
さらに、タクシン首相は軍の人事でも、自派の幹部を露骨に登用しようとして軍内の反発を招き、軍内の反タクシン派の間で、次第に首相への不満が高まっていた。先月24日には、首相の暗殺を企てたとして軍人が逮捕されている。
とはいえ国民の一部では、経済界出身で文民のタクシン首相への支持が根強いのに加え、タイの民主化の歴史に逆行するような軍事クーデターが国民の広範な支持を得られることは考えにくい状況で、今後も事態は流動化することが予想される。

今回のクーデター、私見だが、恐らく成功しないと思う。タクシン氏を政界から追放すれば成功、という見方なら成功すると思うが、軍が政界の人事に介入することになれば、今度は軍がひっくり返されると思う。
この記事の中では伝わって来ていないが、タイの政治騒動はもともとは、バンコクと地方の対立構図にあった。要するに、田舎と都会の問題なのである。そして、この糸を手繰れば、実は1990年代にあったアジア通貨危機に遡れると思う。
あの通貨危機は、本質的に白人至上主義者であるビル・クリントンが意図的に招いたものであろうと私は考えている。それは置く。ともかく、あのアジア通貨危機までは、タイは日本資本が進出したいわゆるNIESとか言われた工業国を目指していた。つまりは、その当時はバンコクが中心だったのである。ところが、通貨危機で倒れたタイはどうしたか。タイは農林水産に活路を見出したのである。特に、その市場を日本に求めた。オクラやトウモロコシ、アスパラガス、鶏肉などは今やその辺りのスーパーにタイ産を見つけることが出来る。また、海老やイカなどもタイ産のものが出回っている。私はシナ産や米国産の食品は手に取らないが、タイ産は買う。個人的には、タイを信用しているからである。
タイは農業国になり、かつ日本を市場に求めたことで、安定的な成長を遂げた。これは、タイにとって大きな力となった。それまではバンコク一辺倒だったタイが、地方にも経済的に潤うようになったためである。この経済構造の変革に乗っかり、かつ主導したのが、タクシン氏とその一族の企業ということでもある。
ところが、都会の人間はそれが面白くない。日本で言えば、東京のインフラ整備は一切せずに、せっせと地方振興のためにカネを使った、ということである。もちろん、ここには誇張がある。しかし、単純化すればそういうことであろう。しかも、箱物を作るような愚ではなく、産業基盤を整備した。お陰で、鄙びているとバカにしていた田舎に出し抜かれ、バンコクの大学で勉強したのに職が無い、という状況になったわけか。
無論、バランスというのが大事であり、都会を放置し、田舎を優遇すれば良い、という話ではない。そこはわかる。しかし、タイの政治騒動でわかるのは、結局、都会の人間は弱いということである。タイで田舎と都市で政治対立が起きたのは、私は都市の人間に問題があると思う。日本でもそうだが、都会の人間は自分の食べ物がどこから来ているか、それを知らない。都会に住む人の中で、生きている魚を自ら捌いた経験のある人は少なかろう。ましてや、鶏を〆たり、牛や豚を屠殺する現場を見たことのある人になると、さらに少なかろうと思う。夏目漱石は、若い頃、田んぼになっている稲が米になることを知らなかった。正岡子規がそう書いている。今の都会人は、夏目漱石を笑えないはずである。
で、結局のところ、このクーデターは、弱い都会の人間が軍隊まで出してきた、ということでもある。本来、軍隊は都会の人間の持ち物であることがよくわかる。弱い都会の人間が、肥沃な「田舎」を勢力下に置くために考え付いたものなのであろう。近代社会になって、世界各国が領土を主張するようになってから、軍隊はやっと都会も田舎も含めた「国」を守るもの、という考え方が出来た。私はそう思う。19世紀の帝国主義。イギリスから見て、インドやシナは肥沃な田舎だったのである。
今回のタイのクーデターが失敗する、と予想するのは、軍が今回も都市の側に立っているからである。無論、過去の歴史上のクーデターも都市の論理による。日本の2.26事件も5.15事件もそうであろう。クーデターが成功するには、田舎が十分に力を得ていない国でなければならない。私はそう思う。しかし、今のタイはどうか。タイの経済を支えているのは、他ならぬ田舎の人間であろう。軍と都会民が政権を取ったとして、どうするか。結局は、田舎の人間に頼らざるを得ないからである。そう思っているから、クーデターが起きたにもかかわらず、バンコクは平穏なのであろう。その点、まだタイは完全に都市化していないのかも知れない。
こう考えると、今でも田舎の人間が圧倒的に支配している国が存在することに気が付く。それはアメリカである。アメリカの主力産業は、農業である。アメリカは、世界に食べ物を売って儲ける国である。そのことを知っているから、典型的な田舎者(のふりをしているのかも知れないが)のブッシュが大統領になる。親のブッシュは、田舎者ではないように振舞って再選を逃した。代わりに出てきたクリントンは、当時私が会ったイギリス人の留学生に言わせたら「聞くに堪えない」英語を、つまりアメリカの田舎者を演じて、大統領になった。その後継者たろうとしたアル・ゴアは、またまた都会民をアッピールして、ドの付くほどの田舎者である息子・ブッシュに負けた。要するに、アメリカは田舎者の論理で動いてる。
ということは、最近、保守系にも流行している反米・嫌米は、実行しようと思ったら、日本も田舎者にならなくちゃならない。食料自給率の引き上げ、自己防衛力の強化。しかし、それを実行するために、脳みそを使って「考える」。そうやって「作った」「田舎」は本当に田舎か。そこにいる人は、田舎者か。よくわからないですね。都会人の脳みそで作った「田舎」がどうなるか。面白そうな話なので、やってみる価値はあるような気がする。ただ、反米・嫌米を言っている人に、そういう覚悟がありそうかと言うと、どうもそんな感じはしない。保守にしろ革新にしろ、「米国の支配」から脱したいのであれば、まずは自らが田舎で生活したらよいと思うが、どうだろうか。まあ、その結果、反米も何も田舎では問題にならないことを知ると思う。恐らく、タイの農民の方々も、遠くバンコクのクーデターのニュースを見て、アイツら暇なんだな、と思っているに違いない。