それよりはマスコミのあり方を

あれだけのネガティブキャンペーンも不発に終わってしまった朝日新聞が、早速、社説で恨み節だそうである。
「安倍新総裁 不安いっぱいの船出」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060921.html
恐らくこの社説、本日の各所で大いに取り上げられることと思う。だから、内容に関してはおく。ともかく、朝日新聞はこの結果を、自業自得と考え、大いに反省して欲しい。
日経のスクープによって、福田氏を不出馬に追い込んだのは、大手・在京紙では産経以外の新聞社である。まだ、「アジア外交」とやらで福田氏を持ち上げているところまでは良かった。それならば、福田氏は出馬したかも知れない。しかし、富田メモは余計であった。真贋云々の問題ではない。信教の自由という、日本国憲法の根幹に関わる問題であり、かつ、立憲君主制(日本の場合、やや擬似的な面もあるが)の維持、つまり、日本の国家としての体面の問題になったからである。大手・在京紙の中で、このことを理解した新聞社は、産経だけであった。
まず、信教の自由の問題である。日本国憲法は、これを日本国民個人に認めている。公務員にすら、認めている。私人・公人の別はない。まして、これが国家元首である天皇(ここでは制度としての意味なので、敬称を略す。また、天皇は国内法では国家元首と規定されていないが、国際的儀礼・慣行では国家元首として扱われている)の意向によって、国民の信教の自由を妨げてはならない。天皇が国政に関与しない、という規定はそういう意味である。そもそも、信教の自由という概念は、欧州で発生したものである。カトリックの王様が、プロテスタントを弾圧する。そのうち、プロテスタントの王様やカトリックから抜けて勝手に教会を作る王様まで出て、国内の「異教徒」を弾圧し、挙句に、それが理由で戦争になった。そして、100年以上もそんな争いに疲れた結果、もう止めだ、とした結果、生まれたのが信教の自由、という概念である。マスコミがこの辺の歴史を知っていれば、富田メモを報道する意味がないことくらいわかるはずである(これが50年後や100年後なら、歴史史料としては有意義かも知れぬ)。
第二に、立憲君主制国家維持の問題である。欧州には君主を頂く国が多いが、それらの国でも日本の天皇家と同様に、君主家が国民の政治に関与することを許していない。しかし、これは同時に、国民が君主に対し政治に関与することを要求してはならない、ということを意味している。これも普通の思考能力があれば理解できる話である。国民が君主に介入を要求するなら、憲法を変えよ。そういうことである。靖国問題は、私は政治問題ではない、と言ってきた。しかし、マスコミは政治問題であるという。それならば、富田メモを盾に、靖国問題という政治問題の解決を図ることは、君主家に政治介入を要求したことと同義であろう。それがわかっておられるから、現陛下および皇族の方々は、みな、この問題には一切のご発言をされなかったのだろう。これでは、護憲派の名が泣くと、私は思う。
福田氏は、こうした矛盾を堂々と垂れ流す勢力には乗っかれない。そう判断したのだと私は思う。私が福田氏の立場ならそう思う。曲がりなりにも、総理候補とされたのである。しかも、父も総理であった。だから、総理になろうという野心(別に悪い意味ではない)があって当然と思う。そこで、自らの援軍として、やや左派(本当はやや、どころではないが)のマスコミ・言論人を味方にするという選択肢を考えた。そこまでは、福田氏と左派マスコミの利害は一致していたのである。ところが、富田メモである。護憲派を名乗るマスコミは、日経を批判すべきであった。しかし、護憲派マスコミはこぞって、天皇陛下の御意思である、と靖国参拝を批判した。これは明らかに矛盾している。福田氏も、ここで目が覚めたのだろう。私はそう判断する。
国論が二分されるのはまあよい。しかし、このように書けば、明らかに左派マスコミの論が正しくないことは、通常の脳みそを持つ人ならば理解できるように思う。福田氏は、この点では普通の人であった。要するに、常識のある人だったのである。つまりは、間違った論に立っては、総裁選は戦えぬ。そういうことだったろう。
これから先、安倍政権が短命に終わるか、それとも長期になるのか、その予想は私にはできぬ。失政があれば短命になろうし、成果あれば長期にもなろう。その判断は、国民がする。国民がする権利を持つ。
しかし、マスコミは短命も何もない。国民の名を騙りながら、実は国民から選ばれる存在ではない。だから、マスコミに苦言を呈す。左派マスコミは、この夏、自らが護憲派ではないことを証明した。そのことを、自らどう考えるのか。そこをはっきりさせて欲しい。憲法はお題目なのか、それとも本気で日本の「constitution」として機能的な存在にしたいのか。そこをはっきりさせて欲しい。
そういえば、もう一つ別の方法もある。それは、憲法を廃止して、新しい憲法も作らない方法である。私はこれはあってよい方法だと思う。要するに、立法府で作られる法律の拠り所は、憲法ではなく、日本人の「常識」ということである。現に、イギリスはそうしている。だから荒唐無稽な話ではないとも思う。そうすれば、靖国問題も言いたい放題できる。左派マスコミにとって、非常に良い状況と思うが、どうか。無論、日本の左派の考えと、日本国民の大多数の常識とは乖離していると、私は思う。だから、こういう主張をしているわけである。
日本国憲法廃止。もともと1000年間、天皇は君臨すれども統治せず、でやってきたのである。それで何ら問題が発生するとは、私は思わぬし、むしろ、現状に柔軟に対応できてよいと思うが、安倍さん、いかがでしょうか?