テレビに出ないこと。民主党再生への道

民主党が審議に復帰するのだそうである。審議拒否などという手段が通用するのは、実は日本だけであろう。民主主義というのは、議論に参加する意思を示し、行動した者によって実施されるわけである。日本には、民主主義とよく似た「話し合い」という主義がある。民主党が主張しているのは、そちらである。民主主義の原則に則っていない、というのはウソである。話し合い主義に則っていない、ということなら理解できる。
しかし、残念ながら、日本は議会制民主主義である。話し合いではない。議論である。そして、選挙の結果に伴う多数決で意思決定する。教科書ではそう習った。民主党の議員は、私とは違う教科書で習ったのか。多少、教科書が違っても、この点では同じことが書いてあるように思う。
審議拒否した分の給料を、国民である我々が支払う義務はない。私はそう思う。確かに、数の原理、彼ら流に言えば数の横暴か。それで行けば、間違いなく与党案になる。当たり前である。そうなるよう選挙で支持されたから、与党なのである。そのことを民主党は理解していない。国民的な議論は、国会以外に場がない。場を設けてもならない。私はそう考える。今は、テレビで討論会もどきな番組をやるから、そちらが国民的議論だと政治家やマスコミが思い込んでいるフシがある。私が、プーチン大統領なら、NHK日曜討論や、フジ系の報道2001、朝日系のサンプロや朝まで何とか、などという番組は放送禁止である。ただし、その時間は国会中継や委員会中継を放送しろ。そこが、私がプーチン大統領と違うところである。国会の議論を、きちんと国民に見せよ。勝手に議論の場を作って、訴えるな、訴えさせるな。言いたいのはそういうことである。国会で、与党案が如何におかしいかを訴えれば良いのである。そして、マスコミもそういう姿をそのまま放送する。判断するのは、国民である。テレビでそういう意見を言う機会がなければ、野党の議員は国会に出てくる。今はテレビがあるから、国会に出なくても言いたいことが言えてしまうのである。これは単に国会軽視である。国民が勝手に国会を軽視するのはいい。しかし、国会議員が軽視するのは、自分の職場を軽視していることになる。それでいいんですかね、センセイ方は。
そもそも、選挙と国会での議論が、全く関係ないもののように、民主党は思っていないか。郵政選挙で小泉自民党が圧勝した理由は何か。これを「マジック」だとか未だに言っているから、わかっていないのは明白である。つまり、民主党はバカの集団なのである。小泉は、国会での議論をそのまま選挙に問うたのである。つまり、国民が直に国政に参加できることを示したのである。そして、郵政民営化という「政策」が支持されたから、小泉自民党は勝利したのである。もちろん、その逆の結果もあり得たはずである。今後はどうか知らぬが、私は今後も自民党が、国会で議論することをそのまま公約にし、選挙に出ることを期待するし、同じことを民主党にも望む。しかし、民主党はそうはしないらしい。何故なら、国会を欠席するのを「戦術」と称しているからである。小泉は、国会の議論で負けたことを、内閣不信任と捉え、衆院を解散した。本当にそれでいいのか、と国民に迫ったのである。そこで負けたのは、誰か。他ならぬ民主党である。
民主党の面々に共通する体質は、こうした一種の「甘え」なのである。国会に出なくても、テレビに出て意見が言える。選挙で負けたのは、小泉のせいで、自分たちは悪くない。そういう姿勢が、実は国民からはそっぽを向かれているのである。欠席戦術を理解しないのは、与党が悪い。その理屈が、実は与党に投票した国民を「悪い」と言っていると同じことであるということに、彼らは気が付いていない。民主党が次の選挙で勝つためには、今は与党を支持している人を説得し、自分たちを支持してもらうようにしなければならないのである。オレたちは悪くない、悪いのは理解しないアンタたち。普通に考えて、こんなことを言われて、言った張本人を支持する人は少ないと思う。
大月隆寛は、河村たかしを代表に据えよ、と産経新聞のコラムで述べていた。しかし、私はそれだけでは民主党は再生(もともと生きてもいなかったかw)しないと判断する。民主党が復帰するために最も必要なことは、代表以下、すべてテレビに出ないことである。テレビに出て言いたいことは、すべて国会で述べよ。民主党がテレビに出なければ、与党側だけが出演するテレビ番組は、放送法上、成立しない。出るか出ないか、は民主党の自由である。しかし、民主党が出なければ、自民党の面々がテレビに出ることはできない。これは放送法にそう書いてある。だから、テレビで与党の言い分のみが流される、ということはあり得ない。もし、与党側だけが出る番組があったら、それは司法に告発したら良いのである。その告発について、私は支持する。
民主党の面々に告ぐ。国民的議論は、国会でのみ行うものである。その場を欠席することを「戦術」などという「美辞麗句」を使うのは、国民に対する詐欺である。同じ詐欺をした戦中の大本営は、国家を破滅に追いやった。それを国民は知っているから、同じ手段を取る貴兄らを支持しないのである。あと、拒否した分の給料は、国家に返納し、納税者に還元せよ。