戦争責任じゃなくて敗戦の責任じゃないのか

最近、むやみやたらに忙しい。仕事も忙しいが、家庭も忙しいし、互助会も師走にはイベントが多いので、また忙しい。義父が先月末に胆管結石で入院したと思ったら、今度は自分自身が風邪をこじらせて、二日仕事を休んだりした。仕事は、お偉方が来年度の年度計画作業に入った時期なので、そのとばっちりを受けて、納期だの期限だのをうるさく言われる。こういうことにイチイチ付き合っていられない。そう思って、無視していたら、やはり上司から怒られた。この辺は、私も悲しき窓際族サラリーマンなのである。
エンデの作品に「モモ」というのがある。時間泥棒と主人公が戦う話だったと思う。大学時代のドイツ語の授業の教材だったはずだが、内容を覚えていない。もしかしたら、あれは同じエンデでも「夢を食う小人」だったか。とにかく、エンデの作品は、私の印象では「時間」が対象になっているように思えた。時間泥棒とは、いったい何者か。当時はさっぱりわからなかったが、今はわかる。というよりも、養老孟司の著作に解説があった。要するに、予定表に書かれた内容が、現在を拘束している。つまりは、予定表に書かれた内容が、現実なのである。会社は年度計画というものを策定する。来年の業績は、この程度儲かります。そういう宣言が、予想通りである人が優秀な経営者だということになる。これが会社の末端まで行くと、窓際族のサラリーマン研究員にまで、来年には論文を何本書き、特許を何本書き、ある研究成果は事業化されて、何円儲かります、とかいう書類を書かされる。ここでは、会社という組織が「時間泥棒」である。私は、モモを気取るが、今の日本社会ではモモは圧倒的に少数派で、隣の席の同僚は時間泥棒の一派であったりする。これでは、私が窓際族なのも仕方がない。そう自分を慰める。
さて、日記をサボっている間に、12月8日が過ぎていた。一般に、この日を「開戦の日」と世間は思っているようである。しかし、実際はその前から、日本はシナ大陸で戦争をしていたのである。あくまで、対米戦争を始めた日であるだけでもある。では、マスコミがやっているように、戦争の検証を私がしよう、というわけではない。
未だに、戦争責任は「A級戦犯」にある、などとやかましく言う者がいる。それを言うなら、「敗戦責任」ではないかと思う。それは、戦後の日本で誰も問うていないのではないかと私は疑う。戦争責任、と表現するとニュアンスが変わってしまう。戦争をしたこと自体がダメだ、ということになる。それなら、戦争の相手になった側にも責任がある。私は意地が悪いから、そう判断する。当たり前だが、仕掛けられた方は黙っているわけがない。それなら、戦争責任を問う、という考え方自体が成立しない。だから、そういう立場での「戦後論」に意味がない、と私は思う。
まずは、戦争で「負けた」ことに対する分析が本当に正しくできているか。そこが問題であろう。物量に負けた。そう教わった。しかし、戦艦大和を持つ国である。しかも、兄弟艦の武蔵まであった。それで負けて、物量に負けた、というのはおかしい。持っていたにもかかわらず、運用で負けたのではないか、と私は疑っているのである。日露戦争では、当時の連合艦隊のエースであった「三笠」を艦隊の先頭に置いた。しかし、太平洋戦争では大和を出し惜しみして、結局、大和までいわば特攻に出した。そういう使い方をしたから、負けたのであって、最終的に「物量の争い」にまで持ち込まれてしまったのではないかと思うのである。
実際、戦争を「しない」という政治家がほとんどである。軍国主義の復活を狙っている、とまでシナ共産党に罵られた小泉でさえ、不戦の誓い、とか言っていた。私は、小泉は大筋で評価しているが、この言葉だけは気に入らなかった。
本来、自分が何らかの形で三権の行使者になった時期に、戦争が起こるかどうかはわからないのである。たまたま、2006年12月現在では、日本が戦争に巻き込まれてはいないだけである。しかし、世界全体を見れば、四六時中ドンパチやっている。つまりは、日本は運がよいとしか言いようがない。私はそう思う。無論、その運は、いろんな人のたゆまぬ努力の結果である。反戦平和の憲法のおかげだけではないし、日米同盟の結果のためだけではない。戦後、農林水産業は日本を食うに困らない国にした。おかげで、他の国のものが欲しいなどと言わずにすむようになった(今は、食料自給率が下がってはいるので少しこの点が怪しいが)。また、鉱工業も世界に高性能低価格の製品を売ることで、購入先の国にとって、日本がなくてはならない存在になった。これが、どれだけ日本の安全保障に寄与したことか、明確に述べている人はいない。まして、経済界にそういう人もいない。そういう意味で、運は努力の上に成り立っているのである。しかし、その努力をもってしても、戦争になることだってあるのである。
東條英機という人は、戦争責任を一心に背負わされているように思う。しかし、2006年12月に東條英機が生きていたら、戦争をしただろうか。東條英機は陸軍の軍人であった。今なら、陸自のトップである。しかし、陸自のトップが政治の場には、今は出てこない。ということは、東條英機は今の世なら、政治的な発言すら自由にできない立場なのである。東條英機は、たまたま軍に発言権のあった時期の軍のトップであり、また日本を取り巻く情勢の中で、戦争に巻き込まれる確率の非常に高い状況下で、内閣総理大臣になった。その点で、私は東條英機に大変同情する。だから、彼が靖国神社に祀られていることに特に違和感を感じない。無論、彼は当時の行政権の執行責任者であったのだから、敗戦の責任の一端はあるはずである。そこは追求しなければならない。
つまりは、もし、第二次世界大戦の反省をするのであれば、今度、戦争があった場合に、再びこのような敗戦をしないこと、つまりは勝つための方策を考えることであろう。日米安保がその選択肢である、という説明は聞いたことがない。私なら、そう説明する。日本と民主主義、自由主義、資本主義といった、多くの点で共通点を持つ国であり、かつ、強大な軍事力を保持する国と、あえて敵対する必要はない。だから、アメリカと軍事的に同盟を組む。強大な相手と、あえて戦争をしないことも、ある意味で「負けない」方策である。そういう説明の方が理解しやすいと思う。しかし、そういう説明は聞いたことがない。日米安保に反対する勢力からも、では次に戦争になったときに、負けない方法を提案されたことがない。ひどい勢力になると、座して死を待つべし、などという者もいた。こうなると、一億玉砕と変わらない。
もし、政治家に心あれば、自分の幸運に感謝しつつ、自分の後を受け継ぐ者が戦争をしなければならない状況になったときに、困らないように準備をしておくべきであろう。その点で、私は中川昭一自民党政調会長を評価する。少なくとも、他の政治家よりも、この点で責任感があると私は判断する。こういう議論を封殺することのほうが、よっぽど国民をまた敗戦という不幸に追いやる可能性が高いのではないか、と私は疑っているのである。