今年一年ありがとうございました

何かといろいろあった一年でした。私は毎年毎年「早かった」と思うことがないのです。今年も然り。何だかんだと、いろいろあって、結局は例年通り、大過なく一年を過ごせたと思います。まず、そこに感謝。
今年は拙宅に次男坊が誕生し、一層賑やかになりました。その一方で、昨日、父方の祖父が91歳で亡くなりました。生まれ来る命、そして去りゆく命。何時の世にも変わらないのは、人間は生まれ、老い、病み、死ぬ、ということです。人間を含め、生物とは、生まれたときから死へ向かう不可逆過程を進む存在だということです。
ところが、今の日本人にとって、この当たり前のことが一番理解されていないように思います。アンチエイジング、定年の延長、年金受給年齢の引き上げなどの高齢者の問題は、実はニート、フリーター、そしてホワイトカラーへの残業代不払いの合法化などという、壮年・青年層への就労問題、そして少子化、いじめ、親子間の殺人などという、子供の問題に繋がっていると私は思うのです。
物事は単純なものではありませんが、ここでは大きく断言してしまいます。
正直なところ、団塊の世代以上の方々は、きっちり隠居しなければならない。
江戸時代は、ある一定の年齢を過ぎたら、皆、隠居をしました。江戸時代は鎖国をしました。これをどう捉えるか。政治的な側面しか考えていませんが、本来は経済的な側面を考えるべきです。つまり、鎖国によって経済拡大を抑えたということなんです。確かに、江戸時代の間、経済は成長を続け、近代資本主義の基礎を作りました。しかし、その江戸資本主義でさえ、開国による列強の持つ経済力の前には、無力でした(金銀間の格差が少なかったことも影響してますが)。つまり、成長したところでそんなに大きくならない社会構造だったということなのです。そういう江戸時代では、仕事は極端に増えません。ですから、仕事のポストは年寄りから若い者に譲らなければならない。何故なら、若者は何時の時代でもエネルギーの塊ですから。また、当時は石油がありません。人の移動や流通は、本質的には人の力が頼りです。そうなると、当時の栄養状態も考えてみると、40歳を越えると、もはや社会の役には立たない。だから、皆、隠居をして、後は若い者の邪魔をしないように生きたのです。幕府も、なかなか隠居をしない殿様には、あの手この手で隠居させるようにしたと聞きます。それでも若者のエネルギーは溜まる一方だから、各地に大きな祭りがある。これは神事であると同時に、若者のエネルギーの捌け口だったわけです。
今、日本も含め、世界全体が大きな一つの経済の輪の中で動いている。しかし、これ以上、地球が大きくなるわけでもないし、人口が増えることに関して言えば、むしろこれは歯止めを掛けるべきだという考え方の方が強い。となると、地球全体の規模で、江戸時代とよく似た状況にあると言えると思うのです。だから、本来は隠居すべきでしょう。そもそも、メタボリックシンドロームなどと言わずとも、成人病といわれる病気は、明らかに栄養の過剰摂取が原因です。日本人が、贅沢と思える食事水準を維持しても、まだまだ食事の総量は減らせると思う。つまり、隠居を抱えた家庭が慎ましやかに生活することは、可能だと思うのです。
60歳を越えた人が、きちんと隠居をする。そうすると、若い世代に仕事のポストが回ります。回さなければならない、と思えば、当然、技術を継承する必要があります。若い世代がきちんと働くことは、いずれ若者になる子供たちを大事にする、ということです。ここで、隠居に仕事が出来ます。子育ては、本来、隠居の仕事なのです。
ところが、今は隠居すべき世代が、まだ働くという。そして、働くのなら年金は払わない。もちろん、この逆も真で、年金が減らされるから働かざるを得ない。若者は、自分たちの稼ぎのほとんどが高齢者の年金か、と反発する。この堂々巡りです。しかし、この中で置いてきぼりの存在を忘れている。それが、子供です。この話は、本当は子供の問題に繋がるはずです。しかし、全くそこが抜けている。高齢者と若い大人のいがみ合いでしかない。こうして社会から阻害された子供が、大人のいがみ合いを見て、自分たちの中で同じことをやっても別に不思議ではない。子供は大人を見て育ちますから。
だから、私は子供の意見を聞け、と言っているのではない。自分の孫、子のことを考える視点を持つべきだ、と言いたい。それが、実は一番大事なことだと思うのです。オレが損する、得をするではない。オレの子供やオレの孫はどうなるんだ。そこを考えるべきだと思うのです。そう思ってくれた親や大人たちに、子供は感謝するはずです。例え、それが多少読み違えがあっても、意図はわかってもらえる。それが今の社会に一番欠けているんじゃないかと思うんです。
生まれては来たが、老いたくない、病気になりたくない、死にたくない。そんなのは、間違いなく身勝手です。そういう現実を見れば、まだ老いていない、病んでもいない、ましてや死んでもいない子供たちのことを考えることは、大人の一番の義務じゃないかと思います。
最後に、今年一年、ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。