規制というエネルギー

一昨日のエントリで規制の話をした。要するに、今の世の中はどちらかというと熱力学第二法則が予言したままではないか、ということが言いたかったのである。別にコメントをいただいたわけでもないが、自分で書いておいて、何となく不満だから追加で書く。こんなことは、書き物で商売をしている人にはできぬ道楽であろう。
そもそも熱力学第二法則には、一つの約束事がある。エネルギーは保存される、ということである。つまり、エネルギーが保存される系では、エントロピーは増える。エントロピーとは何のことか説明は難しいが、要するに出鱈目の度合いだと私は理解している。このことを社会に置き換えてみると、規制というのが一種のエネルギーだと私は考える。規制というのは、人間の行動に対して、ある種の制約をかけるものである。この規制というエネルギーがしっかり働いている側では、もちろん規制に従った社会が形成される。ところが、熱力学第二法則が示唆するところでは、エントロピーは増えることになる。つまりは、規制の効いた社会に対する、裏の社会が混沌としてくる、ということである。社会全体が、例えば1という大きさだとすると、表と裏を足して1だから、裏社会は例えば0.3とかになるとする。そうすると、表の社会はエントロピーを減らすべく規制をかけた分、今度は狭い裏社会のエントロピーが増える。しかも、密度が濃くなる。したがって、表から見たら想像以上に混沌としている。そういうふうに見えるのではないかと思う。
今、世の中で妙な事件が起きる。これも実は、エネルギー保存系になっているからであろう。規制やルールなどをかけていく。国会でも法案廃止という場面が滅多にないところを見れば、ルールは増える一方である。つまり、保存系にどんどんエネルギーだけが注入されているわけである。世の中を整理しようと思って規制やルールを作ったのに、というのは、実は熱力学的に見れば当然のことなのである。マスコミに言わせると、これが収入のレベルなどとリンクさせて「格差社会」となるが、実は違うのではないかと私は疑っている。
では、どうすればよいのか。それが一昨日も書いた「自己組織化」「オートマトン的世界観」である。この自己組織化システム、あるいはオートマトン系は、別の言葉でエネルギー散逸系という。系に注入したエネルギーよりも、系から吐き出されるエネルギーが大きいときに、時系列を俯瞰するとある秩序だったパターンが形成される。目指すべきは、こちらの社会像であろうと思う。ここで大切なのは、二つのポイントである。一つは、系がエネルギーを溜め込まないように散逸させることである。日本が古来から行ってきた、神事、すなわち祭りというのは、若者に溜まりやすいエネルギーを散逸させるためのものである。今でも祭りをやっているが、ねぶた祭りだとか広島の稲荷祭りなどでは、暴力的な若者の集団が出て騒ぎになる。これは、実はもともと祭り自体が若者のエネルギー散逸の場であったのに、大人の方が金儲けのために「品行方正たるべし」という「規制」をかけたためだと私は思っている。その大人に同意できる大人しい若者が大人側に立ったから、今度はより荒くれた若者が集まっているだけである。しかし、国会の例も挙げたように、一度作ったルールはなかなか覆せない。そうなると、こういう傾向にはますます拍車がかかるようにも思える。それは、もう一つのポイントにも関連する。エネルギー散逸系における秩序だったパターンは、時系列を俯瞰しないと見えない。二つ目のポイントは、結論を簡単に出さない、ということである。つまりは、努力・根性・辛抱である。江戸末期から明治に日本に来た外国人の多くは、日本人は秩序正しい社会を作っている、と書いている。しかし、当の当時の日本人が、毎日を折り目正しく生きようと思っていたわけではない。江戸社会は、我々が想像する以上に貧しい社会ではあったが、我々が想像する以上にルールや規制からは緩やかな社会であった。年に1回か2回の祭りで、十分にエネルギーを散逸し、後は毎日の緩やかなルールに従って生きる。そうすると、キリスト教世界で強烈な規制の元に暮らしてきた欧米人から見ても驚くほどに秩序正しく見える。これは、長い時間かかって形成されたものであろうと私は考える。外国人だからこそ、日本人の努力・根性・辛抱に感嘆したのだと思う。
これが崩壊したのは、恐らく1945年であろう。アメリカが最後は圧勝したような形にはなったが、実はミッドウェーあたりまでは、本当にアメリカと日本はギリギリのラインだったのである。渡部昇一先生に言わせれば、大和の運用次第では日本が勝っていた、ということは当のアメリカは知っているという。彼らは勝った戦争も冷徹に分析する。年から年中戦争をしている国だが、彼らほど戦争をし、戦争を研究している国はない。それはここではおく。そのアメリカが、一番恐れたのは、日本人の努力・根性・辛抱ではないかと思う。だから、アメリカは日本を徹底的に「民主化」した。普通、民主化と伝統とはあまり関係がないと思うが、アメリカは民主化の号令の下、日本の伝統的なエネルギー散逸系社会を破壊しようとしたのかも知れない。その結果、日本は何かに付けて、規制をかける社会になった。規制をかける社会の親玉が、アメリカ合衆国であることは疑いのない点であろう。
だから、日本人にもう一度言いたい。ゆっくり行こう。一日二日で世の中は変わらない。まずは、自分が出来ることを日々しっかりやっていく。そういう努力・根性・辛抱をみんなが5%増しにするだけで、私は十分ではないかと勝手に思い込んでいる。また、私個人はその程度にしか日本は壊れていないと楽観している。壊れている、と主張するマスコミや政治家が、最も壊れているのであって、壊れている側から見たら、まともな人たちも壊れているように見えても仕方がない。マスコミの報道や政治家の言動に触れるたびに、そう思うのである。