国会議員(特に野党)が羨ましい

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先月末から今月初めにかけて、用事、締め切りがこれ以上ないというほどに重なった。会社に入ってから恐らく最も忙しかったと思う。あまりの多忙で、体の調子が悪くなるかと思ったが、人間偉いもので、大丈夫なのである。
しかし、それでも野党、特に民主党は羨ましい。ようやく長きサボタージュから覚めたそうである。そもそも、ここの党首は体調不良を癒すため、毎日昼寝が必要なのだそうである。政権交代と叫んでいるのだから、もし早晩にでも実現することがあったら、この党首が内閣総理大臣を拝命することになるはずである。そのとき、日本の首相はお昼寝が必要なので、などという愚かな話が通用するか、ということである。民主党が政権を取ったら、国内の全ての企業で昼寝時間、南欧でいう「シェスタ」制度を導入してくれるのであろうことを私は期待しているのだが、残念ながら、過去のマニフェストにそう書いてはいない。
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柳沢厚労相の発言のどこが失言か。先日は「二人子供を産むのが健全」と言ったそうである。今の厚労相少子化の対策をしなければならない。一般的には、2.08程度の出生率でないと人口維持はできない。今が1.3程度である。人口減少を「健全ではない」状況であると言う立場に立てば、二人子供を産むことが健全であることには間違いない。つまりは、柳沢氏は「人口維持こそ健全」という認識に立っているから、このような発言をしたのである。子供が産めない家庭は不健全なのか。そういうことは言っていない。そういう家庭は昔からあったのである。だから、マクロに見た統計では「2」ではなく、「2.08」となっているのである。
恐らく、今までは発現の裏にあることを、それなりに読み取ることが普通であった。そもそも、日本語は同音異義語が多く、話し言葉よりも書き言葉の言語である。だから、昔は「以心伝心」とも言ったし、「話半分」に聞いたのである。ところが今は、そういう作業をしない。だから、ますます言葉が重要視される。言葉が重要視されるとどうなるか。言葉の苦手な者が社会から阻害されるということである。それが少子化に繋がっていることを以前、私もここに書いたし、養老孟司は私よりも明瞭に指摘した。子供は、明らかに言語能力の未熟なる者である。その代わり、身体表現を行う。身体表現から、我々は「以心伝心」を行ってきた。以心伝心は、言ってみれば、常識ということである。言語最優先、最重視の世の中では、言語による意思疎通のできない者が阻害される。だから、社会から子供が排除されるのである。大人が子供を排除する、最も簡単な方法が、子供を作らない、ということである。だから、私の屁理屈で言えば、言語偏重者である民主党他の野党と、マスコミが少子化の最大の責任者であるということになるし、事実、その通りであると私は考える。
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もう一つ、柳沢氏の問題には「権力」という欲望が入っている。柳沢氏が「大臣」に固執することを指しているのではない。野党は自らを「権力を持たざる者」と称した。確か、この意味のことを、昨年の「メール騒動」で前原氏が党首討論で述べた。私はこれを、無責任と呼んだ。立法権の行使者でありながら、権力を持っていないと認識するとは何事か、ということである。その「権力を持たざる者」が「権力を持つ者」に対しできることは、人事権の行使であろう。
要するに、野党が審議拒否をしたり、マスコミが揚げ足取りの報道を行うことによって、政府・与党の人事を覆す。これは、ある意味で人事権を行使できたことになる。マスコミはインターネットの普及以後、急速にこの人事権を失った。過去には、特に戦争認識の問題で多くの大臣が更迭・罷免されたものである。しかし、現在はそういう力を持たなくなった。今回の柳沢氏騒動は、チャンスだと思ったのであろう。しかし、世論はそういう雰囲気を持たなかった。
この騒動でわかったことは、世論の方が常識があり、マスコミと野党が極めて非常識であったということである。民主党代表の小沢氏は、世論の反応が鈍い、日本人はこういうときに周囲を気にするから、と言っていたが、万年野党の党首らしい言い分である。要するに、自分たちが常識から外れているからこそ、実は野党なのである。その認識がない。民主党も、いつまでもこういう党首を担いでいたり、あるいは社民党などという反日政党と歩調をあわせていては、ますます「非常識政党」として選挙に勝てないと思われる。民主党の議員諸兄の再考を促したい。