カテゴリ分け、どうするかねw

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昨日は妻の誕生日であった。誕生日だが、カミサンが偉人になると生誕記念日になる。誕生と生誕。順序を入れ替えただけで、言葉の格調が変わる。そこが面白い。同じような言葉に、家出がある。出家と書くと、これまた格調が高い。その辺の一般人が家を出ると、素直に家出になるが、お釈迦様以下、宗教関係者が家を出ると、出家になる。この辺が面白い。だから何だ、と言われても何もない。
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ということで、昨日は会社に休暇を頂いた。月曜日に休暇を取るのは、なかなか甘美である。さぞかし、サボタージュをしていた民主党以下野党の国会議員諸兄も同じような体験をしたのであろうと思う。それはさておき、妻の誕生日だったので、良い飯でも食べに行こうと、カミサンに提案した。そうしたら、妻は「回転寿司」というのである。良い妻である。良妻賢母の鏡である。100円回転寿司なら安いものである。そう思っていたら、隣町にあるやや高級な方だという。そこは、確か夏のボーナスが入ったときに行った記憶がある。それまでは寿司嫌いだった長男が、そこの寿司を食ってから寿司が食べられるようになったのである。確かに、そこは多少高級なだけあって旨い。
それで家族4人連れ立って寿司を食いに行った。店に入るなり、長男がテンションが上がりっぱなしである。長男は、イカとタコとエビが好きである。もちろん、この3種は最も値段の安い皿にある。ところが、最近の回転寿司というのは、同じ種類でありながら、格の違うネタがたくさんある。100円のエビもあれば、400円のエビもある。長男が、エビが回ってくるたびに取ろうとする。それが400円のエビだったら大変である。こらこら、それはお父さんの晩酌のビール2本分もするんだぞ。そんなことを言っても、長男には通じない。当たり前である。結局、私は最底辺の100円皿のみを食べる。妻は、こういうところでは割り合い気にせず、200円だの300円だのの皿をバンバン食べる。長男に私の貧乏性が遺伝しなければよいと思う。
帰宅してみると終わっているはずの洗濯が終了していない。別に故障のサインも出ていない。販売店に問い合わせると、故障している可能性が高いという。かれこれ5年使った洗濯機である。当初は、乾燥機能が付いた高級品であったが、その肝心要の乾燥機能が昨年の晩秋に失われた。妻も観念して、新品を購入することにした。ここで7万円の臨時出費である。その上、夕飯時に今月分の飲み代がすでに6万円に到達していることを聞かされた。確かに今月は飲み会が多かった。これでは、当分ゴルフには行けないな、と涙目でビールを流し込んだ。
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ネットでニュースを見ていたら、朝日新聞がずいぶん前のネタで面白いコラムを書いていた。社説のページよりも、いつものように「痛いニュース」さんから、2ちゃんねるの皆様方の反応付きでご覧頂く方が良いと思う。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/924152.html
その反応はともかくとして、朝日新聞は反権力・反権威の新聞社だと思っていた。ところが、ここでは「反骨の記者」である門田勲という人物の権威にすがっている。そこが何より面白い。さらに言えば、このニュース、実はずいぶん前に話題になったもので、新聞社が扱うにしてはひどく遅い。性格の悪い私が分析するに、この「スシポリス」はそもそも朝日の大嫌いな政府・お役所筋のやることで、できることなら批判したかった。ところが、単純に批判すると、いつもの朝日の論調から考えれば「反日」と言われてオシマイのところである。そこで、何とか違う方法がないかを模索した結果、ようやく門田勲を見出した、ということであろう。
ちなみに、海外では日本人以外が経営する日本食店が大変評判が悪いそうである。その部分があって、お役所が動いているということである。この「評判」について、朝日は全く書き漏らしている。それではジャーナリズムと言えない。
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日曜の朝、テレビを付けたら東京シティマラソンを放送していた。市民ランナーが3万人も参加したイベントらしい。参加料は1万円。私はマラソンをしないのでよくわからないが、街中を交通規制したり、スタッフを雇ったりする経費を考えれば、東京という大都会のフルマラソンであるから、そんなものではないかと思う。個人的には、久しぶりに東京は立派だと思った。もちろん、この長時間の交通規制に反感を持った人もいると聞く。しかし、毎日毎週というわけでもない。年1回のことであるから、我慢すれば良い。こういうイベントが根付けば、それなりのことを考えるはずである。
日本は戦後著しく都市化したが、この手のイベントができる都市は、恐らく東京しかあるまい。無論、交通量の少ない田舎ならできる。我が滋賀県なら、こんなことは容易にできる。しかし、これは田舎だからできるのであって、例えば大阪や京都なら、企画段階で猛反対にあって、実現しないはずである。田舎の人は、自然に対して我慢・努力・辛抱・根性を持つ。その分、人付き合いは苦手である。一方で、本当の都会民というのは、人間に対して我慢・努力・辛抱・根性ができる人たちであるはずである。何故なら、都会における唯一と言って良い「自然」は人間だからである。都会の人が我慢や辛抱をすべき対象者は、人間でしかない。だから、本当の都会人は、そういう面で我慢のできる人を指すと私は定義する。その定義で言えば、私は明らかに田舎者である。では、私が勤めに出ている大阪はどうか。大阪と言えば、イラチという言葉がある。イラチの対象はもちろん、人間である。つまり、人間に対して我慢や辛抱をしないということであろう。だから、大阪はそういう意味では都会ではないように思うのである。大阪の人には申し訳ないが、田舎者が東京シティマラソンを見て思ったことである。あくまで田舎者の僻目であるので、目くじらを立てて怒らぬように。それも都会民の嗜みというものである。
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