今日はこのカテゴリで良い

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小沢一郎氏が政治資金で購入した不動産の内容などを公表した。だから、与党の政治家もそうしろ、と言っているらしい。もうこうなってくると、腹立たしいと言うよりも脳味噌の中身を疑うしかない。誰もそんなことを要求したのではない。そもそも、ネット界隈では小沢氏が政治資金という浄財で不動産を購入したことが、まず問題視されているのである。不動産にする必要性が全くないはずの金である。それをわざわざ不動産にした理由がわからぬ。別に小沢氏の名義かどうかが問題ではない。さらには、その不動産がどうも虚偽記載であったということである。それは、「泥酔論説委員の日経の読み方」さんに詳しい。拙日記のヨコにあるアンテナにも登録しているから、お読み頂きたい。小沢氏ならびにマスメディアは、揃いも揃ってこの問題を「透明性」の問題に摩り替えていることを、氏は指摘している。そうではなく、何故不動産にしたか、何故虚偽記載をしたか、ということが実は問題の本質だと思うのである。無論、公表するに越したことはない。民主党社民党も、誰からどのような資金を得ているのかを公表すべきである。何故なら、各国会議員が誰の意見を代弁しているかは、極めて重要だからである。私は性格が悪いので、理念とか理想とか信念などは信用しない。私は、政治とは利害の調整であると判断する。決して、政治は理想や信念を実現する場ではない。理想や信念は、思想家や宗教家、哲学者、あるいは科学者などが議論すべきことである。政治家は、国民から収拾した税を公平に再分配することが仕事である。それは、結果的に利害の調整でしかない。
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こういうことを言うと、特にいわゆる「右」の人から叩かれる。私も個人的には、右のつもりである。私は以前、国会議員の公約とは、政治的に実現できるものだけが公約に掲げるべきである、と主張した。政治的に実現できるもの、というのは、ルール化できるもの、すなわち立法化できるもの(あるいは、すでに制定されているルールを廃止すること)のことを指す。そこが勘違いされていると思う。国会で昨今行われている議論のほとんどは、立法とは関係のない話である。柳沢氏の「失言」についてもそうである。それを論うことよりは、大臣として法案提出の責任者であるのだから、法案の内容について議論すればよい。法案を否決、あるいは変更できれば、柳沢氏の責任を事実上問うたことになる。失言した人の法案だからダメ、なのではない。法案を審議してみたら、やはり失言するような人の作る法案であったワイ。そういう話にしなければならないはずである。しかし、そんな議論は全くメディアの報道からは出てきていない。審議を拒否したとは聞いたが。
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結局、こういうことになるのは、政治家、特に野党の政治家が誰の利益も代弁していないところに起因していると私は判断する。その点で私が野党の中で期待しているのは、労働組合出身、特に民間の労組出身の議員たちである。民主党の中にも、多くの労組出身の議員がいる。だから、彼らは組合員、つまりサラリーマンの意見を代弁する立場にある。要するに、減税を要求することである。また、少子化の問題や雇用の問題においては、審議拒否なんかできる立場ではないはずである。それは、そのままサラリーマンの生活に響くものだからである。しかし、そういう労組出身の議員が、民主党執行部に対して文句を言った、という話を聞かない。一体、誰の利益を主張しているのかがわからない。労組出身の議員にしてこれである。それ以外の民主党の議員などは、昨年騒動を起こした永田某に毛が生えたようなものと私は判断する。当時代表であった前原氏、その前の代表であった岡田氏、また現執行部である小沢、鳩山、菅の三氏など、一体、誰のどういう意見を代弁することで議員になっているのか、全く理解できない。自民党の議員だってあやふやではないか。その通りである。
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私は常に民主党を批判するが、それは民主党にそれなりに期待と希望を持っているからである。要するに、民主党はもっと誰の意見を代弁するのか、ということに真剣になって欲しいのである。選挙のたびに「無党派層」の取り込みを画策していてはダメなのである。なぜ、そういう行動に出るか、というと、彼らは一足飛びに「政権交代」を狙っているからである。だから、本来、利益を主張すべき労組からも見放される。しばしばメディアに「脱・労組」と言ってみたり、あるいは選挙で負けるたびに、労組の組織力低下が問題、と主張する。そこが間違っている。自分たちが誰の意見も代弁しない立場にいるのだから、サラリーマンであっても民主党に投票しないだけのことである。
別に労組の意見だけを主張しろ、と言っているのではない。労組出身の議員は、労組の意見を代弁すればよい。そこは議論である。では、民主党のほかの議員は、一体誰の意見を代弁しているのか。そこをもう一度、しっかり考え直すべきである。民主党にしろ、自民党にしろ、「国民」の意見を代弁しているのではない。国民の中の誰の意見を代弁しているのか、をしっかり問うべきである。勝手に政治家自身が、国民全体を代弁しているつもりになるから、勝手な理想論を述べ、勝手な信念に基づいて、そして国民から白い目で見られるような行動を取っているのである。
理想や信念は、政治家が論ずるにあらず。昔の日本語には、経綸と周旋という言葉があった。政治、というようになってから、政治家が皆、自分自身を経綸家だと思い込んでいるようである。しかし、真の経綸家とは、幕末で言えば吉田松陰西郷隆盛木戸孝允らのことを指すように思う。そういう経綸家は、実際の政治、すなわち周旋になると能力が伴っていないことも多い。経綸家にして、周旋家でもあったのは、大久保利通くらいであろう。周旋家として立派だったのは、伊藤博文である。誰の意見も代弁せず、理想・信念を語る政治家は、自らと吉田松陰が同列にあるかどうか、よく考えてみるべきである。同列にはない、と思ったら、国民の租税によって食わせてもらっている身であることをわきまえ、国民の誰かの意見を代弁するために、あくせく働け。国会議員は、全員よろしく周旋家たるべし。
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