とにかく雑多に行きます

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今朝はひどい頭痛で目が覚めた。私はもともと偏頭痛持ちである。頭痛というのは、他人に理解してもらうのが非常に難しい症状で、私の「偏頭痛」の症状は、頭の一部分だけを針で突付くような痛みが、間歇的に襲ってくるものである。私は、この頭痛が襲ってくると、冗談ではなく自殺したくなる。この種の頭痛は、実は予兆があるらしい。職場の後輩に、同じ症状を持つ者がいて、彼はこの頭痛が起きる1時間くらい前に、一度、目に激しい光のようなものが走るそうである。それがわかると、医師から処方されている薬を飲む。そうすると、この頭痛は起きないのだそうである。しかし、この頭痛は下手をすると、年に1回も起きないことがあるので、薬を持ち歩いていない場合がある。そのときは、予兆があって頭痛が来ることがわかってしまい、私と同様に鬱になるのだそうである。ちなみに、私はこの予兆を感じたことがない。そのため、手遅れになる。偏頭痛は、通常の市販の頭痛薬は効果がない。
しかし、今朝の頭痛はこの偏頭痛ではなかった。飲み過ぎた時などに起こったりもする、いわゆる普通の頭痛である。コメカミや首筋を強くマッサージすると緩和されるタイプの頭痛である。これは、頭痛薬で緩和・除去できる。頭痛で目が覚めたのが、4時であった。それでも、寝ていれば治るだろうと思っていたが、寝付けないほどに痛むので、結局、5時半過ぎに頭痛薬を飲んだ。これまた通常なら、1時間程度で引くのだが、今朝は7時半あたりまで痛みが引かなかった。昨晩は、缶ビール500mlに焼酎の冷茶割りをコップに1杯飲んだだけである。二日酔い的な頭痛とは違う。気にはなるが、とりあえず今は大丈夫である。この土日は、バタバタ用事もあって、ゴルフの打ちっ放しにも行っていないし、子供を連れて遊びにも行ってないので、運動不足気味ではある。肩こりも、今になってひどく感じる。もっと運動をしなくては。
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能登地震があった。拙宅の近所は、震度3だったらしいが、週末は用事で出かけていたので、気が付かなかった。
とりあえず、あまり被害が拡大していないのはよかったと思う。また、これだけの地震になりながら、治安悪化や盗難などが発生していないのは、流石は日本だと思うのである。こういうときに、日本とはいい国だ、と思う。自然は、人間が御せるようなものではない。しかし、人間は人間同士で何とかできる面がある。地震や災害のニュースに触れるたび、日本と海外の状況を思わざるを得ない。
能登の人たち、頑張ってください。
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今朝の分の中継は見ていないが、アメリカの男子ゴルフの話である。以前は確か、ドラル・ライダーオープンと呼ばれていた大会が、今年から世界ゴルフ選手権とかいうシリーズに組み込まれているらしい。要するに、大きな大会になったということのようである。その3日目まで、珍しく録画をして観戦した。
いや、タイガー・ウッズ、すごいわ。ああいうのを魔法使いという。ゴルフで90を切れるようになると理解できるのだが、左右のブレというのは、実は練習で何とでもなる。最近私がハマッている「Grade.Golf」で江連忠も「左右の曲がりはコーチの責任。縦の距離感は全部、選手の責任」と言っている。つまり、距離感が合うかどうか、というのが、実はゴルフというゲームで最も重要なのである。
タイガーというのは、この距離感が恐ろしくすごい。スイングもすごいし、飛距離もすごいが、実はタイガーより飛ぶ選手はいくらでもいる。しかし、本当にすごいのは距離感である。あれは魔法使いとしか思えない。
ちなみに、日本人選手も2名参加していたらしいが、1Rでタイガーに9打くらいハンデが必要なようである。恥ずかしいから、日本から出ないで欲しい。いくらコースが難しいか知らんが、世界のトップが68を出す日に、80台を叩くな。個人的には、日本ツアーは滅びていいと思う。むしろ、滅ぼすべきである。その代わり、アジア、豪州、NZと組んだパンパシフィックツアーを立ち上げる。そうでもしないと、日本のプロゴルフ(特に男子)はダメになってしまうと思うのだが。
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週末、フィギュアスケートの大会をやっていた。浅田とか安藤とかキムとか、わかるのはここまで。まあ、それはいい。ただ、演技の間、実況も解説も不要である。黙って見させろ。それだけが望みである。音を消したいところだが、フィギュアスケートに音楽は付き物である。それがなければ、演技の妙もわからない。でも、解説はなくてもいい。
ただ、今をときめく浅田、安藤、キム、そして昨年の荒川にしても、私から見ると、何となく不満である。不満というか、物足りないというか。
私にとって、フィギュアスケーターとはカタリーナ・ビットである。金メダルを取った全盛期も素晴らしいが、それ以上に、1994年のリレハンメル五輪での「花はどこに行ったの」という曲に乗せた演技は、私の記憶では最高の「舞踏」である。当時、学生であり、一人テレビを見ていた私は、彼女の「舞踏」後に思わず涙を流していた記憶がある。後にも先にも、人の「舞踏」を見て涙を流したことはない。
浅田にも安東にも荒川にも、そういう「舞踏」を目指して欲しいところである。無論、ビットが「舞踏」に込めた思いの中には、拝金主義となったスケート界への批判がある。ほとんどの人は、あの「舞踏」には「反戦平和」のメッセージが込められていると思っているであろう。もちろん、それはある。しかし、彼女がフィギュアスケーターとして成した「舞踏」に、幼少の美少女をヒロインに奉り上げ、それで商売をする大人たちへの批判もあったはずである。ビット自身、東独のステートアマとして「作られた過去」を持っているからである。
週末のテレビ放送を見ていて、大人がまだ高校生の少女をCM出演させて、カネにしようとしている。それがとにかく、私には汚らしく思えてならないのである。そのテレビ局が、堀江某や村上某を「拝金主義者」と批判する。同じ穴の狢である。
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