統一地方選挙はまだ続くらしい

 ****
まず、業務連絡。最近、コメントを下さった方に。通報しちゃうぞw。(警察など公権力やマスコミにではありませんw)
参考資料:http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/person/pn_079.htm
 ****
閑話休題
 ****
残念ながら、統一地方選挙は前半戦が終わっただけのことらしい。2週間後には市町村議会などの選挙だそうである。やれやれ、また五月蝿いのか、と思って拙宅の居住地を調べたところ、見事に選挙はないそうである。幸せである。私はもちろん、投票には行く。選挙も民主主義には不可欠な要素であると思う。しかし、「選挙」は嫌いである。選挙期間のやたらめったらの五月蝿さは何であろうか。
以前にも書いたが、街頭演説など迷惑の極みである。天下の公空間を、私党の輩が拡声器で演説をするのである。公共の福祉もへったくれもない。新聞にはよく「公党」という言葉が出る。これはすでに、自己矛盾である。党、というのは、自分たちの仲間、という意味である。その時点で「私」である。だから、政党というものは、すべからく「私党」であると私は考える。そうでないと、政党政治は成り立たないからである。「私」が「公」との折り合いをつけるための手段が、そもそも政治であり、そこに民主主義という原則が入ると、政党というものが便利なだけである。必要なのではない。便利なだけである。
公党、などと言うから、誰の意見を代弁しているかわからなくなる。分からなくなるから、支持者が集らない。それが民主党の現状でもあるし、自民党の現状でもある。私党の最有力者である公明党を見よ。だいたい立てた候補は当選する。それは、創価学会員という「私」の集団の利益を見事に代弁しているから、創価学会員の支持を確実に得られているだけのことである。私は、公明党創価学会が密接な関係にあることは、日本国憲法に照らし合わせても全く問題ないと判断する。別に、特定の宗教を信奉し、その信奉者が政党を作ること自体を禁じていないからである。しかし、公明党の幹部が靖国参拝などを批判することは、大いに憲法に抵触する。それは、公明党の幹部でなくても抵触する。これは、信教の自由という日本国憲法が「個人」に認めた権利を侵害する行為だからである。
 ****
統一地方選挙では、とかく「政党」が目立たなかった。それを「無党派」だとか「政党不信」などという言葉で説明すると、焦点がぼやける。そうではない。政党が信用されないのは、誰の意見も代弁していないからである。少なくとも「オレはこうする」という意見がないからである。人間、考えていることはそうそう変わらない。みんながみんな、違うことを考えていたら、世の中自体成り立たない。養老孟司はそう主張した。それは正しいと思う。個性は身体にあり、心は共通性を求める。誰かが、「私」としての意見を主張すれば、それに同調する人もいるし、しない人もいる。同調する人は、それに合わせて私党を作り、それが政治を志向すれば政党となるだけのことである。今の国政において、自民党にしろ民主党にしろ、「私」の思いを主張する人はほとんどいない。「私」の思いでありながら、それがいかにも「公」の意見のようにしてしまっているように、私は感じられる。ようするに「みんな」という言い方である。みんなそう思ってますよ。しかし、「公」というのは、人間の頭の中でできた抽象的な概念ですからね。そんなものが、具体的な意見を言うわけがない。
例えば、小泉前首相は郵政改革のときに、小泉の「私」としての意見を全面的に述べた。その「私」の主張に、多くが同意した、ということである。メディアの利用が上手い、下手、などはあろうが、小泉が「私」を主張したのに対し、当時の民主党の岡田や、造反組とされた面々は、ことごとく「私」を主張せず、「公」のように振舞った。そこが実は、大きな違いであろうと考える。
 ****
要するに、「私」をもっと主張しなければならないということである。「私」を主張すれば、それが受け入れられるかどうかが判断される。オレはこう思う。お前はどう思う。実は、民主主義というのは、ここが原点なのである。ところが、メディアは自らを「公」と呼ぶ。公の立場にいると思うから、「私」を主張する者を糾弾する。メディアを尊重する人間を「公」を尊重する人だと誤解して報道する。しかし、そのメディアがなした誤解について、すでに国民の多くは気が付いているのである。それが、統一地方選挙の前半戦の顛末であろうと思う。無論、メディアがそういう自省ができるような存在ではないことも、私は理解しているし、諦めている。
「私」の主張が、民主国家の基礎ですよ、とは100年以上も前に福沢諭吉が書いていることである。最近のメディアも政治家も、福沢諭吉を読まないんでしょうかね。政治家にもメディアに出てくる人たちにも、慶応大学出身者は結構たくさんいると思うのだが。
 ****