文体また変えます

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難しいことを考える、というよりも、難しい文体で書くのが面倒なのかも知れない。そう思って、今日は去年までの文体でツラツラ書きます。私は、プロの文章書きじゃないから、この辺は気楽なものです。
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さて、統一地方選挙、ありましたね。実はですね、職場の方の知り合いから選挙のお手伝いを頼まれておりまして、先週は仕事を二日ほど半休頂いたりしていました。お手伝いと言っても、演説会場の交通整理とか、会場の設営・撤収とかいう、本当に雑用事。
それでも、初めて選挙というもののお手伝いをし、さらには事務所で開票を待つ、ということもやりました。結果は無事、当選。嬉しかったですね、素直に。みんな、あんなに一生懸命やるもんなんだな、と思いました。公民権行使のため、投票に行く、というのは、もちろんですが、選挙のお手伝いをする、というのも、立派な公民権行使だと思いました。今後も、支援する候補から頼まれたら、お手伝いしようと思います。
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この後半の統一地方選挙参院補選もあったりして、国政側でもいろいろあったようなんですが、そこにちょっと疑問と言うか、何と言うか。
沖縄では、自公 VS 野党、という形になっていたそうです。沖縄の県民事情がどうなのかよくわかりませんけれど、それでもマスコミがわいわい言うほど、沖縄の県民感情が反米・反日という話は聞いたことがありません。沖縄出身者は、私の周りにいませんが、沖縄の大学に勤めていたという知り合いに聞いても、そんなことはない、と言う。となると、そもそも、野党が共闘した時点で、ある程度、この結果は見えていたのかな、という気がするんですね。要するに、無理やり二大政党制のように持って行った民主党の戦術ミス、ということだと私は思うんです。
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よく、自民党公明党に飲み込まれた、とか、その逆で公明党は、自民党公明派だ、なんて言い方も聞きます。これ、どっちも微妙に違うんですよ。実は、自民党っていう組織は大きな一つの政党なんじゃない。実は、小さい小政党の寄り合い所帯なんですよ。未だに、○○派っていうじゃないですか。脱派閥だとか。で、小泉前首相はそれを閣僚人事としては、振り払ったけど、依然として自民党にはそういう派閥はある。なぜかというと、それが一個の政党なんですよ。で、自民党というのは、一種の「連立政党」なんです。だから、公明党がその中に入ったところで、別に党の本質が変わるわけじゃないんです。
自民党の面々ってすごいでしょ。右から左までズラッといる。自民党のいいところでもあり、悪いところでもあるのは、ここなんでしょ、きっと。要するに「日本人」の代表になってるんです。政策・理念、そういうもんじゃない。もっとはっきり言えば「和」でしょうかね。意見が違ってることは、問題じゃない。意見は違っていても、何となく話し合って、何となく妥協してそれで結果に対して、みんながそうしましょか、というのが日本社会じゃないですか。これはいい面も悪い面もある。私は民主主義者だから、政治がこうじゃ困るとは思うんですよ。でもね、民主主義ってことは、自分たちの考え方に近い人が選ばれる可能性が高いわけですよ。だったら、与党が日本の社会を反映した構造になっていて、別におかしくはない。これは民主主義者として認めざるを得ない。
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だから、日本はすでに二大政党制じゃない。というか、そもそも二大政党制になるほど、日本は階級構造が二分化してない。江戸時代は士農工商って言いますね。でも、士農工商って言う言葉は、シナ大陸の言葉で、結局、日本の実情にはマッチングしていない。そもそも、シナ大陸の「士」っていうのは、知識階級、読書階級っていう意味で、武士っていう意味じゃない。で、日本版・士農工商は、あくまで職業分類なんですけれど、これは別に経済力の強弱じゃないことは、よく知られてるでしょ。
二大政党制っていうのは、別にそうあるべき姿なんじゃなくて、各国の事情を反映したら、そうなるというだけの話です。イギリスは、もはや二大政党制じゃありません。議席を見たら、それっぽく見えるけど、得票率的には、三大政党。すでにイギリスでも、資産階級と労働者階級に分けられる時代じゃないってことです。
じゃ、日本は二大政党制になるような国なんでしょうかね。私は、ずいぶん違うと思うんですよ。そもそも日本に資産階層なんかいない。ホリエモンだとか村上某とか、ああいうのは成金っていうんであって、資産階層っていうもんじゃない。というか、私はむしろ二大政党制にならないように、日本を持って行く方がいいと思うんですよ。社会が二極化するってことは、それだけ単純な世の中ってことだし、選択肢が2個しかないってことですよ。そもそも、日本はすごく多様な価値観のある国でしょ。宗教一つとっても、仏教だけでものすごい数の宗派があって、しかもお互いあまりケンカせず(ケンカが好きな宗派もまああるんですが)、やっている。クリスマスだとか言って、キリスト教の大事なイベントの日に若者はおセックスをしゃれ込んで、その1週間後には寺で除夜の鐘で煩悩を払って、翌日には神社に行って初詣して、結婚するときはまたまた教会で。むちゃくちゃと言えばむちゃくちゃなんだけど、それだけ多様な価値観を上手く使いこなしてる国なんだと思うんですよ。100年経ったら、イスラムラマダンなんかも、上手く取り入れてる可能性も否定できない。そんな国にですよ、二大政党制なんかあり得るのかなって。だって、政治って言っても所詮、民主主義なら、自分たちの価値観が反映されるんですから。
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となるとね、民主党政権交代だとか、そういうことを考えなくていいと思うんです。結果的に、自分たちの主張が認められて、それが行政に反映されればいい。それくらい、肩肘を張らずに考えて欲しいんですよ。だから、例えば靖国だとか反戦平和とか、そういうイデオロギッシュな観点を捨てて(この観点も所詮、借り物で政局利用だもんね)、もっと現実的な、言い方を変えると下世話な主張をした方がいいんです。
だから、前から私は言ってるんですよ。民主党は、サラリーマン党になれと。今や、日本の7割以上は給与所得者じゃないですか。だから、サラリーマン党になれ。その代わり、7割もいるんです。右も左もいますって。だから、今も民主党には右も左もいるじゃないか。そうじゃない。そういう主張は、そもそもしなくていいんです。というか、わが党は個人の信教・思想は知りません。とにかく、サラリーマンからの税金を上手くやりくりする方法を考えます。それでいいんです。無理から、二大政党制じゃ!とか言って、社民とか共産みたいな教条的な政党とつるむから、サラリーマンが逃げちゃうんです。だって、会社員はそんなイデオロギーっぽいこと言ってたら、仕事になりませんからね。だから、少々負けたっていいし、政権なんか取らなくたっていい。とにかくサラリーマン代表を名乗る。その結果、政権は取れるかも知れないし、もしかしたら、自民党と連立政権になるかも知れない。でも、それでいいじゃないですか。今の自民党は、別に資産階級代表じゃない。でも、農林水産業の代表者は確かに多くて、サラリーマン代表は少ないでしょ。なら、民主党はそこを目指せばいいんです。それが、結果的に二大政党制に見える可能性もあるでしょうけどね。でも、二大政党制ありきじゃないんです。
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まあ、今の民主党の幹部さん、どう見てもサラリーマンから程遠いというか。要するに、民主党の人が言ってる二大政党制っていうのは、行政権をこちらに寄越せって言ってるだけじゃないか。で、これは何かって言うと、養老孟司さんの本に言わせれば、学生運動と同じ構図。お前らが持っている権力を、オレに寄越せ。それじゃ、やっぱりなかなか理解してもらえないと思うんです。
与党と対決していく。本当にそんなことを期待している国民ってどれくらいいるんですかね。私は全然思っていない。私はサラリーマンだから、サラリーマンの税金が有効に使われて欲しいし、もっと下世話に言えば、減税して欲しい。それが政治に対する願いですよ。それを実現してくれるなら、与党だろうが野党だろうが、どっちだっていい。
先に二大政党制ありきで考えるから、「対決姿勢」に拘っちゃうんです。そんなことより、日本の中にある多様な価値観を代弁することの方が大事。今の自公政権ってのは、そこが民主党よりも上手く言ってるし、公明党についてはいろいろ批判はあると思うけど、一つ認めていいのは、彼らは創価学会という宗教の信者の意見の代弁者だということなんですよ。だから選挙も強いんです。
誰の意見を代弁するか。それを考えていくと、サラリーマンですら一括りにできないんだから、二大政党制なんてある意味では幻想。私は、どんな形であっても連立政権で十分なんだと思っています。
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