憲法は廃止がいい

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国民投票法案についてです。ま、立法府の人間がようやくまともな仕事をした、ということでしょ。それ以上でもそれ以下でもない。
さて、9条について言えば、私個人は改正すべきと考えてますよ。というよりも、憲法自体を廃止にして、再制定しない、というのが私の意見です。これならば、「憲法判断」などというトチ狂ったことも起きないわけです。憲法というものをなくした状態で、国家に軍事力は必要か否か、現代において政教分離とはいかなることか、を考えればよいのです。
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日本人はルールがあれば体制完成と思い込むくせがあるようです。聖徳太子の頃、シナ大陸にできた国家を倣った。太子は一応、日本の国情を鑑みた体制にはしたんですが、紆余曲折を経て、丸々シナ大陸風の体制を取り入れることになります。これが律令制ですな。ところが、日本は当たり前だけど、シナ大陸とは違う。だから、律令制ってのは実情に合わなくなってきた。ここで、普通なら律令を見直す、つまり憲法改正に踏み切るか、あるいは、律令通りに現実を変えるか、どちらかにするでしょうね。ところが、日本ではそうしなかった。律令律令なんだけど、現実を処理する適当な方法で乗り切っちゃう。これが幕府政治なんですよ。
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その幕府政治もかれこれ600年以上続けてると、やっぱり実情に合わなくなる。そこで、今度は西洋風の体制を取り入れた。それが明治憲法。その明治憲法の時代、今とは比較にならないくらい、変動の時代ですね。だから世界大戦が2回も起きた。そういう時代は、強いリーダーシップが必要なんですが、明治憲法には残念ながら、首相にそういうリーダーシップが認められていない。閣内不一致の場合、現憲法ならその大臣を首相が罷免する権利を持ちますが、明治憲法下では内閣が連帯責任を負うとなっていたんです。つまりは、総辞職ってことです。ここに、軍が入ってきたわけです。軍務大臣(陸海2名)が政府方針に反対して辞任すれば、内閣は総辞職せざるを得ない。だから、政権を維持するためには軍の意向に逆らえないということなんです。軍は、この特殊な「権利」を「統帥権」に起因するとしたわけです。明治日本は、軍が明治憲法を守り、現実をかえようとして失敗した例なんです。
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そして、昭和憲法になってからは、9条問題です。1950年代にすでに軍事力を持たないわけにはいかなくなった。いかんせん、隣の国で戦争をやっていたんですからね。それでも、結局、律令時代よろしく、憲法は変えずにやってきた。今の日本政府は、ある意味じゃ幕府みたいなもんです。行政機構として軍事力を持っているけど、憲法にはそんなものはない、と書いてあるんですからね。そりゃ、日本の西側にはミサイル、核兵器、拉致、不法占拠するような国家が3ヶ国ありますよ。軍事力が不要である、ということはあり得ないですよね。しかも、今後は非政府組織による軍事力行使、すなわちテロもある。じゃ、どうするか、というと、一つは憲法を変えたりして、そういう武装勢力に立ち向かう準備をする。もう一つは、国家組織を解体することでしょ。ただ、国家組織を解体してもテロリストや他の軍事組織の脅威を受けない、という手法を提示する必要があるんですけどね。残念ながら私は頭が悪いので、国家解体による未来を描けない。
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だから、憲法なんかなくていいんです。日本の歴史を考えたら、日本人の常識、コンセンサスとかいう類のものは、文章に書かない、つまり成文化しないんでしょ。文章に書くのは「タテマエ」の方。それなら、もう書かなくていいじゃないですか。でも、それでも問題があるところについては、御成敗式目なんでしょ。今で言う、刑法や民法とかです。
憲法は作っちゃうから、過去、歴史を見なくなるんです。日本で憲法ができたときってどういう時でしたっけ? 律令のときは、豪族時代はなかったこと。明治憲法のときは武家政治はなかったこと。昭和憲法のときは軍国日本はなかったこと。全部、前時代はなかったことにしましょうってことなんです。だから、物事を見る目が近視眼になっちゃうんです。もっと簡単に言えば、考えるのが面倒臭いんでしょ。軍隊持たなきゃ戦争しない。それは短絡的ですわな。
国民投票法はある意味では、考えるための第一歩。それで私の願いは憲法廃止。先人たちはこういう問題をどのように考えてきたのか。それをみんなでゴネゴネ考えましょうってことなんです。
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