これ見て、ある意味、安心した。でも、田舎のことは考えよう

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かれこれ3年くらい日記を書いてると、書きたいことがなくなってくるんです。文句言いたいことがなくなってきたというか。特に、こういうネットで日記書いたり、他人のそれを読んだりすると、いろんな情報や本に触れるようになるんですね。そうなると、自分が感じていた漠然とした考えを、上手い文章でまとめてくれている人がいることに気が付く。ああ、何だ、この人もそう考えていたのか、なんて思って溜飲を下げたりします。典型的な例が、養老孟司さんなんですけどね。
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で、最近は2ちゃんねるのレスを集めたブログさんをよく見ています。私も昔は、2ちゃんってところはちょっと怪しげなところだと思ってましたが、別にそんなことはない。というか、別に2ちゃんねるに一般社会と違うところなんか、ほとんどないですな。匿名だから危ない、誹謗中傷が飛び交う、なんてマスコミは言いますけど、そのマスコミも読み手のアナウンサーは実名だけど、その記事を書いた記者は、基本的に無記名じゃないですか。だから、本質的に同じ。一人の小市民がどう考えているかってことが、案外、わかる。ただ、時間もなくて面倒なんで、こういうレス集めのブログさんのところで、ニュースとあわせて読む。そうすると、案外、自分と同じ考え方を持っている人が多いことに気が付いたり、あるいはその逆だったりする。そこが面白いんですね。
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で、今日はその一つを紹介しようと思います。
「深夜コンビニで働く31歳フリーター「戦争になって国民皆、苦しめばいい」」
http://www.heiwaboke.com/2007/06/31.html
(「へいわぼけ」さんより)
詳細はリンク先をお読み下さい。戦争がどうだこうだ、という話から、人生の意味って何だ、と書き込みは続きます。
一見、何とも不毛な議論のように思えるかも知れません。でもね、こういうことで誰もが納得する答えが出ないことは、私にはすごく安心できるんです。人生に意味なんかあるのか。私個人はあって欲しい気もするけど、冷徹に考えたら、1億年先に人類がいるとは思えないし、別にいいのかなと、同時並行で思ったりする。そもそも、まだ33年、もうすぐ34年ですが、その程度にしか生きてないのに、自分の人生の価値なんてわかりません。自分のことがわかんないんだから、他人のことならなおさらわからない。だから、これが答えだ、という納得できる答えよりは、みんながああでもない、こうでもない、と議論していい問題だと思います。
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例えば、私の好きな宗教家に、浄土真宗の開祖とされる親鸞上人がいます。親鸞上人、人生の価値という質問ではないのですが、なぜ、そんなにお念仏をするんですか、と聞かれてこう答える。
「私は、よき人(師匠の法然のこと)が念仏をしなさい、というので念仏している。よき人を信じてやっているので、よき人が私を騙していたとしても、私は別に構わない」
これ、信仰の基本姿勢でもあるんだけれど、人生の価値なんかオレにはわかんないよ、ということの親鸞流の表現だと私は思いたい。わからないけど、とりあえずオレは念仏する。
現代になって、これが養老孟司さんになると、
「数十年程度しか生きていないくせに、人生の意味なんか聞くな。オレなんか、70年近く生きてるが、わからんわ」
ってことになる。表現は違うけど、言ってることは同じだと思う。
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人生の意味を聞くな、とか、よき人が念仏しろと言ったから、というのは、結局、そういう問題は、自分自身で考えるしかないんですよ、ということなんです。特に、仏教世界ではそういうことになる。だから、輪廻転生なんじゃないかなと。人間が普通に生きられるスパンは100年弱。その程度では、人生の意味なんかわかんない。だから、輪廻転生して、いろんな世界を生きていることにする。そうすると、いわゆる「ブッダ」、悟った人が現れて、私たちはその人を参考にすりゃいいんだと。簡単なようで、難しいですよね。お釈迦様と出会えた人はいいけど、現代にお釈迦様はいなさげですものね。
だから、日本人に人生の意味って何?って聞いても、答えが出ないんです。むしろ、そういうことは自分で考える。究極には、人間も自然の一部だから、自然に生かされてるんだよな、と考えてきたんだと思います。正直なところ、人生の意味、という問いかけ自体、都会の産物であって、田舎じゃそんなこと考えている暇はありません。都会人だって、ウンコが漏れそうな状態で、満員電車に乗ってるときに、人生の意味なんか考えている余裕がないはずです。
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つまりはね、上の引用にあるような問いかけを、いろんな人が、例えネットの掲示板であったとしても、考えることができる世の中ってのは、いい面で言えば、社会に余裕がある証拠だとも言える。食うに困っている。戦争で、家の前を砲弾が行き交っている、疫病が流行して、外に出られない。そんな状況じゃないってこと。悪い面で言えば、そんだけ都市化してるんですね。お日様に当たって、農作業してたら、人生の意味なんか考えてられません。考えてる間に、作物が枯れちゃうから。だけど、人間が思索にふけられるようになったのも、ある意味では都市化のお陰ではある。その都市化の背景には、田舎の生産力向上ってのがあったってことも事実だし。
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要するに、人生の意味を考えられるという幸せな状態は、一体誰が提供してくれてるのか、ということを考えて欲しいです。そこは、ある程度、答えの出る話ですから。
先日、都会の知事どもが雁首揃えて、官邸に乗り込んだそうですよ。都会の金は、都会で使う。田舎で使うなんて持っての他だとさ。その中に大阪府知事が混じってたらしい。私が滋賀県知事だったら、明日から大阪に送水すんのやめますわ、と言うところですな。それから、滋賀県産の農産品は大阪には売らんぞってね。いいですよ、他にも売ってくれるところはあるからね。最悪、外国から輸入すりゃいいや。そう考えてるんでしょ、都会のお偉方は。それでどうなると思ってるんですかね。田舎で食えなくなった人が、結局、都会に集ってくる。だから、余計に都会で金が必要になる。田舎と都会にどんどん格差が付くんでしょうが。で、国内の生産力がなくなった頃に、輸入先の外国で内乱とか戦争とか、旱魃とかがあったらどうすんのさ。手遅れだよね、完全に。そこが都会のお偉いさんにはわからんのですよ。
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人生の意味を考えられる都会の人は、もう一つだけ考えて欲しい。その余裕、どこから生まれてるのだと。都会の人は、実は田舎の食料と水によって支えられているんだってことは、しっかり理解しておいて欲しいと思うんです。
言っとくけど、日本って世界の中で、最も農業に適した場所なんですよ。だから、こんなちっぽけな島国で1億人もの人口を養えるんです。別に自給率100%にしろなんて言いません。これだけ飽食の時代なんだから、節制しろとも言いません。でもね、50%は維持しときましょうや。自給率が高ければ、それだけ戦争とか不測の事態が来たって、それなりの生活ができるってことなんですよ。戦争中に、相手の国はビフテキ食ってて、こっちは顔の映るような粥を食ってたんでしょ。それを反省するなら、今度は相手がまずいビフテキ食ってるなら、こっちは和牛のすき焼きで行きましょうよ。それも、田舎の生産力を確保・維持することから来るんでしょ。そこんとこを、都会の人もしっかり考えて欲しいと思います。
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