よくわからない話

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シナのダンボール入り肉まんのニュース。
今朝、ちょっと家を出るのが遅かったので、テレビのニュースを見てみたのですが、コスト削減だとか何とか言ってましたね。
でもさ、本当にそうなんかな、と思って。
一種の愉快犯なんじゃないんですかね。け、あいつら旨い旨いって言いながら、食べてるのが実はダンボール、超ウケル、というノリなんじゃないでしょうか。テレビで見た限りは、結構手間かけてますからね。下手したら、一撃で死者まで出そうなことですから。
で、もう一つ考えられるのは、実は、食糧難。つまり、食肉が足りない。だから、混ぜ物をしてとりあえず誤魔化す、ということも考えられますな。私は、案外、こっちなんじゃないかと思います。シナ大陸の都市には、モノが余っているようで、実はそうでもないんじゃないかと。都会においては、飲食店経営者はまだ直に食べ物を扱っている分、食糧難には、一般都市民よりは多少強い。飢えないように、自分たちの取り分を常に確保しているということなのかも知れません。
どっちにしても、シナ大陸、特に中華民族と自称する連中が住んでいるところは、恐ろしいですな。
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ただね、余り笑い事じゃない。似たような事件は、日本でも起きている。ミートホープの事件にしろ、今朝の朝刊に出ていたエレベータの話にしろ、私から見たら同じようなものなんです。もちろん、シナ大陸ほどある意味じゃ豪快な話ではありませんが。何が同じなのかというと、どっちも都市社会の脆弱さなんでしょってこと。
そもそも中華ってのは、「文明の中心地」っていう意味ですね。要するに、彼らが「中華民族」と自称してるのは、「オレたちは都会民だ」という意味です。モンゴル、チベット、日本、その他海洋民族、北方の狩猟民族は田舎者なんですね。蛮族ですな。蛮族は、人間社会よりは自然を優先して生きる。というか、せざるを得ませんな。自然からの恩恵を受けて生活してるんですから。日本は割り合い早くから農耕社会になったけれど、大陸に比べて、自然があまりにも強すぎるんですね。裏返せば、自然が豊かでもある。だから、自然をなだめすかし、自然と上手に付き合うことが必要でした。
ところが、シナ大陸はそんなに自然は強くない。北京の北西方の黄土地帯は、昔は森だったんですよ。ところが、青銅器・鉄器という金属器文明の成り立ち以降、森が切られて、なくなった。その森が回復しない程度にしか、シナ大陸の自然は強くない。日本は、切っても切っても木が生えてしまう土地です。だから、日本は鉄の大産地になるんですが。
自然の弱い社会では、人間がすがって生きる方法を自然に任せられません。だから、宗教が必要になってきます。これがシナ大陸では儒教だし、ヨーロッパや中東では一神教だったということなんです。要するに、これが都市化ということです。
要するに、今、我々がこういうニュースで目にするシナ大陸は、都市化の成れの果てなんですよ。日本も、戦後、過去に存在した自然依存型の宗教を、悪しき古い因習であるとして排除してきました。最近では、頂きます、と言わせるな、という連中まで出てくる始末です。日本は、宗教の型で言えば、共産主義と同じ「無神教」で60年やってきました。お陰で、立派な都市化社会になってるわけです。ただ、急いで60年であっても、2000年以上の歴史にはまだまだ勝てないということだけです。もちろん、勝って誇るような内容じゃありませんけどね。
2000年やってきた彼らの歴史は、とてつもない人口増加と急激な人口減少の繰り返しなんですよ。都市化社会というのは、そういうものだと思います。日本も人口減少と騒いでますが、まだシナ大陸ほどじゃありません。だから、手を打つなら今のうちだと思います。もう一度、自然依存型の社会に組み直すことを考える。こういうニュースを聞いて考えるべきことじゃないでしょうかね。
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で、もう一つ大陸ネタ。米議会での慰安婦決議騒動について思うことです。
以前にも書きましたが、シナ語には冠詞がない。これは、シナ語学科卒のカミサンに聞きましたから、多分事実ですし、養老先生も本に書いているから、ほぼ間違いがない。つまり、彼らの言語上、「あの日本人」と「この日本人」を区別することができないということなんですよ。例えば、日本語には「あの」「この」の「こそあど」を使わなくても、区別ができます。

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけました。

この一文目の「おじいさんとおばあさんが」ですが、ここを「おじいさんとおばあさんは」にすると、この文章だけでは通じない。「が」の段階では、英語で言う「a」の状況でしょ。で、「は」の段階で、「the」の状況になる。日本語はこれで「あれ」「これ」を代用しているわけです。
しかし、シナ語にはそれがありませんし、冠詞もない。ということは、第二次世界大戦のときに、シナと戦った日本人と、今の日本人と区別ができていない可能性が高いということなんです。もちろん、シナの影響を長く受け、漢文で文章を書いてきた朝鮮半島の人も同じ。日本の場合、漢文で書いても、読むときは書き下しして、日本語にしちゃうから、この影響を受けなかったんでしょう。ともかく、日本人は謝罪しろ、という考え方はここから出てくるんじゃないかと思います。
じゃ、なぜ、彼らはそういう区別をしないのか、というと、人間は変わらない、変わっちゃいけない、という考え方があるからでしょう。つまり、それが都会人の考え方なんですよね。儒教では「君子豹変す」と書いてますが、豹変していいのは君子だけ。君子以外は、変わっちゃいけないってことなんですよ。だから、彼らは政治的に対立した相手は、九族皆殺しなんですよ。その一族は、今の状況から変わらない(対立した時点で「君子」じゃないから)。だったら、皆殺しにして絶やさないと、自分たちがいつかやられる、ということなんでしょう。流石に声に出しては言わないけど、シナ大陸でこの手の運動をしている人たちの本音は、「日本人皆殺し」だと思いますよ。流石に、それは今の世では通用しないので、「日本人は反省しろ(そして、中華民族に屈服しろ)」と言っているんでしょう。どっちにしても、「あの日本人」と「この日本人」の違いを理解していない。というよりも、そもそも違いがあるということ事態、認識の外にあると思います。
だから、こういう問題に対して、「真っ向言い返さないとダメだ」というもの、私は少し違うと思うんですよ。そもそも、相手と噛みあわないようになってるんです。オレはやってないんだから、反省しようがないんですからね。それを真っ向反論すると、何だ、この野郎ってことになる。
だから、少し違う視点に立ったらいいと思うんですね。というか、ちょっと脅してやる。
実は、今の状況ってのは、ハルノートの頃の世界情勢に似ている部分がある。米英とシナが、日本に対していろんな嫌がらせをしてました。で、日本は国際連盟を脱退したりして、孤立化を目指します。周りから文句を言われてまで、他人と付き合いたくない、と言うのは、日本人には多いメンタリティですからね。そもそも「和」の民族としては、自分だけじゃなく、相手にも同じようなことを要求するんですから。その結果、どうなったかというと、太平洋戦争とか大東亜戦争ってヤツですよ。アメリカなんか、欧州戦線に物資を送り、アジアでは日本の利権を奪って、一儲けするつもりだったんでしょうけど、日本が孤立化を選んで、孤立しても立ち行くためには、アメリカと戦争するしかないって判断した。その結果、アメリカも戦争に駆り出されて、しかもミッドウェーまでは負け戦でした。あそこで、戦艦大和が出てきてたら、というのは、軍事をそこそこ知ってる人なら、常識に近いんだそうですね。
そういう例を出して、アメリカやシナに説明してみたらいいんです。あんまりネチネチ言ってると、また日本は孤立の道を進みますよって。日本は人口も多いし、別に貧乏すれば食える国なんですけどね。それでいて、工業製品は優秀だし、思ってる以上に、日本って世界の国から好印象らしいですね。アメリカとかシナは、結構、評判よろしくないようですけど。こんな感じで言ってみたらいいんじゃないんですかね。私は、そう思いますけどね。
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