1億分の10万だもんな

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1億分の10万ってことは、1,000分1ってことですか。なるほどね、そう考えると、世に言うベストセラーって本が、近場に読んでいる人がいなくて当然なのかも知れません。
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なぜこんな話をしたかというと、先週の土曜日、ちょっとした若者向けの研修会があったんですよ。その互助会に入ってくれた若者対象の研修会で、私はスタッフとして講義をする立場でした。
午後から半日のその研修の最後の単元が私の受け持ちだったのですが、それまでの方々の講義は、まあ、同じスタッフの私から見ても、こりゃ聞いてるのが苦痛だなという感じです。相手は、20〜30歳くらいの若者ですからね、興味なければ、寝ちゃいます。スクリーンにパワーポイント映し出して、それを順繰りに説明するだけ。そりゃつまらん。
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私はもともと性格もしゃべりな性質ではあるんだけれど、そういう「つまらない話」ってのが大嫌い。確かにね、研修会で話す内容ってのは、面白くないことが多い。でもさ、話す側は「相手はこの話を聞くべきだ」と思ったとしても、どうすれば相手が聞いてくれるか、ということは考えなくちゃいけませんよね。だいたい、普段、ヒラ社員の我々は、上司の下らない話を聞くたびに、「あのオッサンの話はツマラン」って文句言ってるでしょ。だったら、自分が話すときはそうじゃないようにしなくちゃならんと思うんですね。
で、私が登場したら、もうさっきと全然雰囲気が違う。まず、「ですます」調でしゃべらない。登場してすぐにこっちから「皆さん、こんにちは!」と挨拶すると、さすがに最後の講義なんで多少の反応は帰ってくるけど、まあ1/3くらいかな。そこで私が「みんな、樋口裕一って人、知ってるかな? 知ってたら手を挙げて」と聞く。まあ、ほとんど知らないんですな。これは仕方ない。で、私はこう言いました。
「この人の本、手元にあるんだけど、頭のいい人、悪い人とかの人ね。で、この本にこんなことが書いてある。挨拶するということは、その人を無視していないという意思表示だ。逆に挨拶しないということは、その人を無視しているという宣言だ、ってね。この中で、職場で上司・先輩が挨拶してくれる人、どれくらいいるかな?」
どうも半数くらいのようです。そこで、続いてアイスブレークに入ります。
「じゃ、挨拶が大切だってことで、今から、みんなで挨拶、つまり自己紹介ゲームをします。できるだけたくさんの人と挨拶、自己紹介、握手をして下さい。一番多かった人が優勝です。では、スタート!」
こうなると、みんな一気に盛り上がる。演者の私も中に入ってやっていく。肝心要のスタッフは、末席で腕組んでみてるんですよ。だから、途中で私が、
「スタッフも中に入って! みんなもスタッフ一人とは挨拶してください!」
と声を掛ける。スタッフの方がビックリしてやがる。
私の講演は終始こんな感じ。ワイヤレスマイクだから、どんどん受講者の中に入っていく。ちょうど、2週間前に受けた研修の講師がとても参考になりました。言い方は悪いけど、その人のコピーみたいなもんですな。
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さて、週が明けて、研修受講者からのコメントが返ってきました。そうすると、コメントの中で「Yottiさんは声が大きくて、キャラが面白い」とか「Yottiさんは五月蝿い」とか「Yottiさんの説明はテンポがいい」とか「Yottiさんは早口で何を言ってるかわからない」などと書いてある。ところが、他の人の担当分には、担当者の名前が書いてあるものが一つもない。
正直ね、私は嬉しかったんですよ。賛否どちらであれ、私の名前はそれなりに記憶されているってことなんです。あの話は誰がしたんだっけ?じゃなくて、Yottiっていう五月蝿いオヤジが言ってたこと、なんですよ。そこに大きな意味があると私は思うんです。賛否の割合で言えば、賛成6、否定2、感想なし2くらいです。反Yottiとすれば、4割は否定かも知れないけど、6割は肯定的に見てくれたし、何より私という個人を認識してくれたことが実に大きいわけです。
ところがね、互助会のスタッフによると「キャラが目立ちすぎていて、他の講演とバランスが取れていない」「否定的な連中がいるから良くない」なのだそうです。昼飯食いながら、そんな文句を言われたので、私もむかっ腹が立って、
「それなら、アンタたちは名前を覚えられてるんですかね。今、互助会と言えば、オレになってますよ」
って言ってやりました。どうも、それがスタッフ、特に私より上役には気に入らないらしいけど、悔しかったら他人に名前を覚えてもらえるような話し方をしてみろってんだ。面白いとも何ともなく、当たり障りなく「役に立ちました」なんてコメント書かれて上機嫌ってのは、オレはどうかと思うけどね。それってつまり「面白くありませんでした」ってことと等価でしょ。
樋口裕一氏の本はベストセラーなんだけど、結構みんな読んでないんだね。
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そんで、その研修会の後、スタッフと飲みに行ったんです。その席でたまたま、政治経済的な話になった。まあ、自民党総裁選の前日でしたからね。
そのうち一人がこんなことを言う。会社員はこんなにしんどい思いをしているのに、世間から評価されていない。農業なんか広い土地を持って、他人に農作業させてるだけで、太平楽に暮らしている。納得できない。
おいおい、本気でそんなことを言ってるのか、と思って、私は一瞬呆然としたんだけど、結構周囲も同調する。別に今までと変わらないことをやってるだけなのにな。オレたちは毎日、新しいことを考えないと怒られる。天気なんて、毎日、日が昇って日が沈み、毎年春夏秋冬が巡って来る。こっちは、自分で切り開かないとやっていけない。日本は、技術立国なんだから、農業なんかを保護しなくていい。鉄は国家なり、じゃないけれど、製造業こそ今じゃ国家だ。
6人で飲んでいて、4人までがこんな意見を言うわけです。もうね、正直、ビビッた。あり得ない。たまたま、互助会の長が私と同じ意見でした。聞くところでは、奥方が東北の農家出身だそうで。
「製造業は、日本という国家の国際的な地位を高めることに大きく貢献していることは確かで、不可欠な存在ではある。かといって、国家や社会の本当の意味での基盤は、農林水産業に他ならない。外国から食糧を輸入することが、すべて悪とは言わないが、今の自給率40%は国の基盤が支えられているとは思えない」
良いことを言ってくれますな、流石はボス。でも、私には少し物足りなくて、こう言った。
「僕ら製造業の会社員は、もっとそういう意味で謙虚にならなくちゃダメなんですわ。正直、私たちの会社がなくたって、あるいは我々の業界がなくたって、極端に言えば、自動車産業だって電機産業だって、なくなったって、人は死にません。でも、農業がなかったら、人は死にますよ。ってことは、僕らは人の生死と関係のない商売をしているという点で、無駄な商売なんですよ。そこのところがわかってないから、食の安全問題なんでしょうが」
とまあ、こんな調子でした。要するに、私とボス以外の4名は都会人なんですよ。農業は、もっと別のところでやればいい。こんな狭い日本で農業なんてやらなくていい。都会人であると同時に、歴史も全然知らないのね。
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日本は、大陸や太平洋の孤島で暮らせなくなった人が、こんな豊かな土地があるのか、とやってきたフロンティアだったんですよ。これほどまでに農業生産に恵まれた土地もない。これは、大航海時代だったか、それとも江戸末期か忘れましたが、東南アジアに滞在した西洋人が、モンスーン地帯を評した言葉ですが、「神は不公平だ。我々(欧州人)には過酷な自然を突き付けておいて、ここ(東南アジア)の人々には、遊んで暮らせるほどの実りを与えている」
まあ、欧州人は自然と同化せず、自然を克服すべき対象として扱った、つまり森を伐った結果、厳しい自然と対峙する羽目になったんですけどね。この言葉は、東南アジアモンスーン地帯の、一番北の端に位置する日本も、同じです。自然の恵みをこれほどまでに受ける場所が、一体世界のどこにあろうかと思うのですよ。その日本で農業を捨てて、工業で食っていきましょうという発言は、正直、恐ろしいですね。都市化もここまで進んでるのか、と思いましたもの。
そういう点では、あれだけのベストセラーになりながら、養老孟司氏の本ってあまり読まれていないんですね。まあ、本を読む暇もないほどに忙しい、会社員も厳しい世界だな、と思いますけどね。
そう思うと、ベストセラーっていうのも、所詮、1000分の1程度の世界。なかなか世の中を変えるようなモノじゃないってことなんでしょうかね。
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