検定制度が不要なんだよ

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沖縄の集団自決の軍の関与や強制性について、教科書検定云々の話が問題になっているようですね。今日は新聞各紙が取り上げているようです。タイトルだけ拾ってみました。
「沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入」(読売)
教科書検定 政治介入排し事実正確に」(産経)
「集団自決記述 「軍強制」復活ですむ話ではない」(毎日)
朝日と日経は、本日付では取り上げていないみたいです。
さて、毎日はタイトルには出ていませんが、本文中では検定制度自体には何の言及もしていませんし、産経にしろ読売にしろ、検定に政治介入するな、という姿勢です。つまり、検定制度自体は認めているということですね。
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まずね、教科書検定制度は、文部科学省がやってるんだから、そもそもそれが「政治介入」なんですよ。教科書ってのは、一種の著作物でしょ。だから、どのように書いたっていいんですよ。それを採用するのは、各地方の教育委員会の判断なのであって、そもそも検定するということが間違っている。検閲って確か憲法で禁じられてるんじゃなかったんですか。事実がどっちにしたって、今のところこの問題は政治色が残る問題なんだから、検定すること自体、政治介入なんです。どこか民間の企業、例えばオリコンみたいなところが「教科書ランキング☆」をやってるのとは訳が違うんですよ。
だから、この問題を回避するには、教科書検定制度を廃止することなんです。
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教科書検定制度は、実は教育行政側の「サボり」の言い訳にもなっている。文部科学省が認めた教科書で教えてるんだから、学力低下文部科学省が悪い、ってことになるわけでしょ。で、文部科学省の方は「認めてもいないし、推薦もしていない。検定しただけ」という。責任の所在があいまいになっちゃってるんです。
教科書検定制度がなくなれば、教育行政、特に現場の教職員や教育委員会は、自分たちの考えで教科書を選ばなくちゃなりません。そこでは侃々諤々の議論があるでしょうが、あっていい。そういう議論もせずに、お上お奨めの教科書でございってのは、正直、なめてますな。これもまた、役人のサボりなんでしょ。
教科書検定ってのは3年ごとでしたっけ。ってことは、新規に教科書事業に参入しようとしても、3年はかかるってことですよね。最近、新事業を起こすから3年待ってくれ、なんて民間企業ではそうそう認められません。ですから、結局、教科書事業は「検定組」の独占事業になってるわけ。想像するに、この「検定組」の会社の顧問とかに、文部科学省のお役人衆が天下ってる可能性もあるんじゃないですか。
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で、特にいわゆる「進歩史観」をお持ちの方々にはよく考えて欲しいんだけど、江戸時代、寺子屋で使われていた教科書に相当する本は、ものすごい数があるんだそうです。しかも、売り物ですよ。寺子屋の主人が書いたんじゃなくて、そういう教科書を出版する業者も当時にはいたそうです。で、そういう教科書が幕府や諸侯によって検閲されていたという話は聞いたことがありません。そんなの当たり前で、江戸時代は幕府だけじゃなくて、諸侯も財政が苦しくて、そんなことをする余裕がなかったんですよ。江戸時代を抑圧時代だと考えるんなら、江戸時代にはやってなかった教科書検閲を現代にやっているのはおかしいと思わないんですかね。私はそこが解せない。
つまり、教科書検定ってのは、江戸時代よりも遅れているってことなんです。この検定があるがゆえに、文部科学省に無駄な予算と人員が割かれていて、さらに天下り先まで確保できているような状況です。
言論の自由を愛するのであれば、早々に教科書検定なんか止めちゃえばいいんです。止めちゃえば、特亜とのイザコザだってなくなりますよ。検定なんていう中途半端なことをやってるから文句を言われるんですからね。
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