参院の価値は、出そうと思えば出せる

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衆参の勢力バランスが異なる「ねじれ国会」になって、まあ、政治屋さんたちはエライてんてこ舞いな状況のようです。マスコミはさぞかし面白いことでしょう。何もしなくても、いろいろニュースになりますし、まあ、政権運営側としては、何とかしなくちゃならん。
世界には二院制を取っている国は多いんですが、実質上、片方は「貴族院」的な存在であることの方が多いように私は感じています。要するに、日本で言うところの衆議院が、ほぼ立法権を握っていると言っていい。イギリスの上下院は、下院に対し内閣が責任を負うわけですし。
で、日本も制度上、内閣は衆議院に対して責任を負うわけで、見た目はイギリスの上下院に近いんだと思うんですが、参議院衆議院とほぼ同等の権限が与えられていて、参院で否決されると法案が通らないという、仕組になっています。イギリスも法制上は日本と同じはずですが、上院は下院の議決を否決しない、ということが「慣例」になっています。イギリスは、ある意味では法の国じゃありませんから、こういう「運用」を重んじているのだと思います。無論、イギリスの面白いところは、何かの拍子に下院がとてつもない議決、例えばナチ的な法案が決議された場合、上院は法制上、否決できる、という可能性を残しているところですね。法制上のロジックと、慣例という運用を彼らは、時の方便で使い分けている。イギリスも、クロムウェルという独裁者を産んだ経験がありますからね。
こうして見てみると、実はイギリスをお手本にしたように見える日本の国会制度は、あまりイギリスを参考にできないように思います。よほどの事態にならない限り、上院が何か発言することはない。上院は、恐らく「国王(今は女王)のスタッフ」という認識なんでしょう。今は、女王が臣民を信頼しているので、スタッフにあえて口出しするよう指示していないということなんでしょう。個人的には、日本もそうあった方がいいのにね、と思います。
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ただ、現状、憲法改正もそう簡単に進まないことを考えると、現状で上手くやっていく方法を考えなくちゃいけません。その点では、与野党とも上手くやっているとは思えません。特に、民主党の小沢氏には、党利党略、自らの権力誇示以外の部分が見えてこない。また、自民党の福田総裁も、何だか制度を活用することから逃げているとしか思えない運営に終始しているように見えます。
だから、ここは一つ、原則論に戻るべきなんです。もちろん、原則論は原理主義に陥りやすいんですが、今は自民も民主も、別の意味での原理主義に陥っている。彼らの原理主義とは、「民意」に対する原理主義。自民は衆院議席を持って、自分たちは「民意」の代表と任じ、民主は参院議席をもって「直近の民意」の代表と自任する。どちらも正しいけれど、どちらも同じ分量だけ違う可能性を考えてないから、これは原理主義なんです。
私が原則論に戻ろう、というのは、小学校のときの社会科の授業で習ったところに戻ったらどうか、ということです。
まず、衆院で法案が通過したら、その法案を参院は必ず定例通り審議することです。民主党は、今、議事運営権を握っていますね。そこで、法案を議事にかけるかどうかは、民主党側が決められる立場にある。今のところ、民主党はこの法案を議事にかけない、という方策に出ています。この状態で、もし、みなし否決となって、衆院が2/3の過半数で再議決したら、どうなるのか。
批判はいろいろあろうけど、参院で議論されなかった法案が通過して、行政執行に移る、ということになるわけです。こんなの前代未聞でしょ。確かに、民主他の野党側は、参院で議論してないものを可決するなど、民意無視も甚だしい、と言うと思います。しかし、審議することは可能であったのに、審議しなかったのは、自分たちになるわけで、せっかくの参院での多数派であることをこれほど無駄にすることもないわけです。
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だから、ここは議案を審議するんですよ。そこで、何がおかしい、ここは欠落である、これは認められない、しかしここは大筋としては問題がない。そういうことを議事録に残すことが大事なんです。そして、まあ粛々と否決すればいい。ただ、何も審議せず、はい、否決はやっちゃだめ。参院が「再考の府」であり「良識の府」であるためには、法案を審議して、きちんとした議事録を残して、否決したという結果とともに、衆院に送り返すことが大事なのだと私は考えます。
マスコミにお願いしたいのは、こうした場合、議事録を抜粋、要約で結構だから、きちんと内容を伝えることです。衆院は、こういう法案を送ってきたが、参院ではこれこれこういう理由において否決した、とね。
じゃ、それを受けて衆院は、どうするのか。議事録の内容が、ただのイチャモンだとすれば、そのままで結構でしょう。再議決にかけて、2/3の賛成で可決してよろしい。しかし、参院の議論の結果、やはり当初の法案に誤りがある、と考えたら、修正法案を提出したらいい。同じ議論を同一国会ではやらない、という慣例は、この際、「柔軟に」無視したらよろしい。そこで、修正法案を再度、参院に送り、また参院はこれを検討する。
大事なのは、党利党略で考えない、ということでしょ。真摯に受け止め、議論して欲しい。そういうのが国会議員の仕事なんですから。ここでいう党利党略ってのは、自分たちの支持者のことを考えてないってことですよ。有権者の利益になることを、とにかく考えろ、ということです。
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今日書いたことは、確かに奇麗事かも知れません。
先月、父親が拙宅に遊びに来た際、義父(カミサンのお父さん)と私と父で酒を飲む機会があった。父は、まあ、それなりに政治に五月蝿い人なんですが、何でもかんでも奇麗事じゃすまない、政治の中にはみんなが知ったら困ることだってあるんだ、ということを言っていた。それも正論でしょう。私が反論しようとしたところで、義父が反論したんです。
「それは確かにわかる。でも、そうやって奇麗事は通じへん、と勝手にエライ人が思って、勝手に隠してやってきたから、いろいろ問題が起きてるわけやないですか。別に、腹切れと言ってるわけやない。奇麗事が通じるように、全部、わかるようにしてくれないと、政治不信もへったくれもあらへんでしょ」
私が言いたいことを言って下さったので、私は何も言いませんでした。父もこれには反論できてませんでした。なぜ、ここにこれを書いたかというと、要するに今の世の中は、「奇麗事」「常識」「当たり前」ということが、簡単に否定されちゃってるんですよ。そこを取り戻すには、やっぱり大人の代表者である国会議員が、当たり前の常識である奇麗事を粛々とやるしかないんじゃないのかな、と思います。
参院第一党の皆さん、常識の復活は、実はアナタ方の肩にかかってるんですよ。っていうのは、言いすぎなのかな。
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