まず勝者を称えよ

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金・土、そして月と出張であちこち飛び回っておりまして、今朝出社してみたら、なんとメールが150通。こんな端役の窓際族にまで何でこんなにメールが回ってくるんでしょうかね。それとも、私は端役じゃないのか(それはあり得ない)。朝から、とりあえず30分かけてメールの整理から、今週の業務スタートです。やれやれ。
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さて、土曜日の出張は午前中で終了でして(会社関連のセミナー受講)、昼には自宅に戻っていたのですが、次男がちょっと風邪をこじらせていて、咳がひどかったものですから、近所の小児科医に連れてったんです。その待合時間に、AERAって雑誌を読んでたんです。まあ、勘の鋭い方ならお分かり。あの朝○新聞の雑誌。ってことは、この流れだと、私がAERAを叩くんだな、というところでしょうが、残念ながら(?)そうじゃない。
その中の小さなコラムにいいことが書いてあったんです。誰が書いていたのか、名前を失念してしまって申し訳ないんですが、勝ったのに官軍になり切れない内藤選手のことを書いていたわけです。
文中で、コラムの筆者は次のような意味のことを書きます。
「勝てば官軍、という言葉は今では悪い意味のように取られているが、日本ほど勝てば官軍になれないところがあるだろうか。ゴルフでは、勝ってもいないのに連日、石川遼宮里藍が報道され、勝った選手は誰なんだ?という報道がなされている。こうして、勝者が正当に称えられないから、結局、亀田のような輩が生まれてくるのだ」
いや、これは正論だと思いました。スポーツコラムだったのかどうかもよくわかりませんが、最近のスポーツコラムの中では、昨年だったか、二宮清純氏がサッカー日本代表に意見を呈したコラム(反則で簡単に倒れるな。ファウルをもらうようなアピールプレーをするな。誇り高きサムライが倒れている。これはファウルに違いない、と審判に思わせるようになるべし、としたもの)以来、膝を打った内容でした。
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毎年、高校野球の時期になると、どこかの新聞に「勝者ではなく敗者の校歌を演奏すべし」などという、私から見たらキチガイのような意見が載ったりします。確かに、美しい敗者というのは存在するわけですが、敗者であれば全てが美しいわけではない。一生懸命に、ひたむきに。それだけで評価されちゃうのは、私はどうかな、と正直なところ思います。
私は、小学校の頃に、バレーボール、ソフトボール、バスケットボールとチームスポーツをやりました。しかし、自分の中で納得できない部分がある。つまり、自分のせいで負けるということがあるわけですよ。その厳しさに、自分自身が耐えられなかった。だから、中学以降は、個人競技をやりました。卓球、アーチェリーは、団体戦はありますが、対戦相手とは基本、個人として戦う。負けても責めは、自分自身に返ってくるだけ。それは、やっぱり勝ちたいと思うからで、みんなで一生懸命やればそれでいいんだよ、というのは、どうにも納得ができなかったわけです。
逆に言えば、それだけ、競技者として勝者に敬意を払っていたわけでもあるし、また、同時に嫉妬もあったわけです。嫉妬心なくして、競技者として向上するとは思えない。上手いヤツが妬ましいほど、自分自身の能力をシビアに判断したところで、自分の限界が見えてくることもある。
まあ、私の話はともかくとして、勝者よりも敗者を称えるような風潮になっていることは、これは事実だろうと思います。こういう風潮を、特にスポーツ界が許してるのは、自分たちの首をしめることになるんじゃないのかな、と思いますけどね。勝者をきちんと称えないから、勝者が不遜な態度に出るんだと思いますけどね。
っつーか、バレーボールのW杯だったっけ? 何で優勝チームの試合を1試合も放送しないの? こういうのも結局、勝者軽視なんだと思うけどなぁ。
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で、ついでに石川遼の話。
もちろん、石川遼が予選を通過した時点で、フェニックスも見ませんでした。どうせまた、中継の最初の20分くらいが石川特集で、ホールアウト後にゲスト扱いなんだろうな、と思ってましたから。
それで、2日目だったかに豹柄のシャツですか。まあ、若いニーチャンに判断しろって言っても無理なんだろうけどさ。
お父さん、良いんですかね、それで? 周囲の大人の皆さん、それで良いんですかね?
石川遼は、アンタたちのペットじゃないと思うよ、私は。いや、アンタたちが「彼は私のペットです」って言うんなら、そりゃそれでいいですわ。勝手にしろって思うけど、将来、彼が立つ舞台は、マスターズだったり、全米OPだったり、全英OPだったりするんでしょ? オーガスタナショナルとか、シネコックヒルズとか、セントアンドリュースだったりするんでしょ。そういうところに出して恥ずかしくないように教育しなくちゃならんのじゃないの? かのリー・トレビノは、1回だけ、オーガスタの堅苦しい雰囲気を嫌って、出場権があるのに欠場したことがあるんですよ(翌年から、ニクラウスの「トッププロは自分の都合で試合を選んではいけない」という助言を受けて出場した)。トレビノのような選手でも、その重厚な雰囲気に押しつぶされそうになるわけです。もちろん、トレビノは貧しい家の出身で、そういう「高貴な」クラブへの反発もあったのかも知れないけどね。
だいたい、石川遼なんか誰が見たっていい男じゃないですか。そんな彼が、奇を衒ったファッションしなくても、十分カッコイイでしょうが。むしろ、そういう普通のカッコされたら、他の選手が辛いくらいでしょ。そんだけの素材を持ってるのに、変てこなファッションでフェアウェイを闊歩するっていうのは、先を見てるのかって思うんですよ。石川遼は、まあうら若き高校生だから、判断できなくても仕方ない。周囲の大人はどうなんだって、今は本気で思ってますよ。
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