皆様、良いお年を!

今年は秋以降、めっきり更新頻度が落ちてしまいました。
言い訳するようですが、ようやく仕事でもそれなりに責任のある立場になったため、なかなか時間が取れなくなった(会社でサボる時間よりも、電車内や休日に文章を練る時間が減った)ということが大きいところです。また、次男が成長して、これがまた長男に輪を掛けて怪獣なんですわ。休日、手を焼くったらありゃしないw。
また、かれこれこのような日記を4年もやっていますが、世の中に起きていることが、実は同じことの繰り返しだったりすることに気が付いたわけです。毎日毎日、新しいことが起きていると思ったら、当事者は多少変わっていても、内容はほとんど変わってない。いや、肩書き的には当事者が変わってないってこともあるみたいです。そうなると、自分によほどの変化が起きていないと、考える内容もそれほど変わらないわけで、過去に書いたことを繰り返し書くのも面倒だと思うようになったわけです。
しかし、大人になると自分自身は何も変化していないように思ってしまいますが、人間は本来、自然の存在で日々変化する。そのことは、子育てをするとよく理解できます。私にとって、日記を書き始めた頃と今で、環境として一番大きく異なるのは、子供の存在です。子供は、毎日変化します。しかも、言い方は悪いですが、勝手に変化します。昨日まで口もつけなかった食べ物を、何のためらいもなく笑顔で食べたりします。しかし、本来、変化するのが人間は当たり前で、30も半ばを迎える私だって、寿命に向かって日々変化していることは間違いない。今日、何の気なく、鏡をマジマジと見ていたら、髪の毛に白いものがかなり混じってきました。こういうのも変化です。
ただ、現在の世の中は、こうした肉体の変化すら許容しなくなっている。アンチエイジングと言う言葉が流行するのは、そういうことを示しているのだと思います。歳を取るのは、人間の自然の成り行きですが、それに逆行しようとする。それは結局、体のどこかに負担がかかっていくのだろうと思います。しかし、こういうことはまだ結果が見えていない。あと、30年くらい経ったら、今までの人類が経験したことがないような病気、体の故障が多くなるかも知れません。だって、「加齢」に逆行しようとする行為が、民百姓のレベルに流行したのは、今が始めてですからね。不老不死を求めることは、基本的に自然に逆らうことだと思っています。
肉体の変化を認めなれば、当然ですが、肉体の一部である脳の機能によるところである、考え、思考、意識、そういう部分の変化も認めなくなる。今は、そういう社会です。考えていることが、以前と違っていたら、それはおかしい、と言われる。だから、説明責任という言葉が流行するんだと思います。以前考えていたことが、間違っていて、それに気が付いたら、改めるべき。それは、2000年以上も前に孔子が言ってるでしょ。君子豹変す、とはそういう言葉です。今じゃ、地位の高い人は突然意見や立場を変える、なんてあまりいい意味に使われていませんよね。意見を変えた本人は、誤解を避けるためにも説明した方がいいとは思いますけどね。
要するに、今の世の中は、何かと「変化」を嫌うことは間違いないところです。変化を嫌うから、改革という言葉に置き換えているんです。何のことはない、ただの変化でしょ。政治的に変えましょうよってことだけです。だけど、変化というと、何か前にやったことが間違っているように思えちゃうから、改革というんじゃないですかね。日本人の特性は、変化に寛容なところで、それが「水に流す」とか「禊ぎ」だったんじゃないですかね。今じゃ、そういう雰囲気が感じられなくなっている。最初に言ったことが、いつまでも残されちゃう。最初に言ったことは「情報」として残りますが、その情報に徹底的に未来が縛られちゃう社会。これが、私の考える情報化社会です。まあ、養老先生の受け売りをちょっとだけ言い換えただけですがね。逆に、水に流してもらうことへの後ろめたさが、日本人における「責任」であり、「武士の一分」だったんじゃないんでしょうか。
最近流行の、KY「空気読めない」とか、「そんなの関係ねぇ」とかは、最近の若者が持つ「変化不寛容社会」への抵抗感の表れなんじゃないですかね。人(自分でも他人でも)の発言にいつまでも粘着することは、本来、「目は口ほどにものを言う」「以心(身)伝心」の精神に反してる。それを、「空気読めない」と表現する。自分が発言したことでも、他人が発言したことでも、そんなの将来には変わってるかも知れないだろ。だから、今、何を言われたってオレには「そんなの関係ねぇ」なんじゃないんですかね。
ま、とりあえず、こじ付けで考えてみた、私が感じた今年一年の感想です。
ゴルフに関しては、もう少し「変化」したかったですな。まあ、これも自分の体という「自然」が相手なんで、なかなか上手くは行きません。ゴルフをやる楽しみは、自分自身の体であっても、自分の思い通りにはならないってことを知るところでしょうかね。スコアももちろん楽しみですが、故・城山三郎氏に言わせると、スコアはゴルフの楽しみの1/7なのだそうです。まだ、私にとっては1/3くらいはスコアかなと思います。1/7の境地に達したとき、何が見えているか、それが楽しみでゴルフを続けているようなものですし、見たい・読みたい気はあるのですが、あえて、今は城山氏の当該著作には手を触れていません。自分自身が変化する楽しみを、私はゴルフを通じて味わいたいと思っています。
それでは、皆様良いお年を。駄文に付き合ってくださった方々、来年もお付き合いいただけると幸いです。
追記:実は、次男が風邪をこじらせて入院中。カミサンが次男に付き添いで病院泊。私は、長男と二人で自宅と病院を往復している年末年始になっています。長男に朝食を与え、昼食と夕食は、カミサンと長男と私の3人分を弁当にして、病院で食べるという生活をしていますが、この歳になって一人暮らしの経験がフル回転しています。炊事、洗濯、掃除など、やっぱりそれなりにはできないと大変ですね。改めて、カミサンの存在の偉大さに気が付いた年の瀬でございます。明日は、一日外泊が許可されて欲しいなぁ・・・。