社会コストの範囲

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今朝の朝刊を見てましたら、件のギョーザ事件で冷凍ギョーザは売れず、ギョーザの皮とひき肉が売れてるんだそうです。
ア ホ か っ て の 。
まあ、自分で作ろうと思っただけマシですけどね、でもまだ本質的な解決になってませんから。ギョーザの皮の材料の小麦粉だって、輸入品ですぜ。
この事件には、実は二つの問題があります。一つは、「泥酔論説委員の日経の読み方」さんが書かれているように、これは単なる事件ではなくて、食品テロの可能性がある、ということです。これは、泥酔さんにお任せします。
もう一つは、何度も書いているんですが、都市社会のリスクだということです。
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都市社会は、結局のところ、田舎以上に信用がその社会コストの多寡を決定するんです。田舎は、顔見知りを信用して、見知らぬヤツは不審者だとしておけばいい。その分、社会というか世間の範囲は狭いですが、こうすることで社会コストは徹底的に削減できるわけです。江戸時代にあった五人組制度だとか庄屋や檀家による地域行政代行というのは、進歩的歴史観から見たら、抑圧・監視ということでしょうが、この方が社会コストが安く上がるということだったんですよ。
それがだんだん都市化してくると、顔見知りじゃない人が自分の生活に関わるようになってきます。例えば、今、日本は全国的に都市社会になっているわけですが、誰が電気を作ってるのか、誰が家電製品を作っているのか、誰が今日の飯の材料を作っているのか、誰が産地から運んでいるのか。この「誰」は、誰だかわからないものを信用する必要が出てくるわけです。もちろん、無条件に信用できれば、これに越したことはない。しかし、中には今回のようなテロを企てるヤツもいるでしょうし、使ってはいけないようなモノまで売るような輩まで出てくる可能性がある。実際に、そういう人間はいたし、今もいるわけでしょ。
そうなると、今度はみんなでお金を出し合って、監視する役目の人を雇いましょう、ということになるわけです。監視の基準を決める人も必要です。で、問題になったときにそれを裁く人も必要です。結局、こうして官僚制が都市社会には必要になってくるわけです。ということは、問題を社会で処理しきれなくなればなるほど、その分、官僚制は肥大するんです。
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今回のギョーザ事件でわかったことは、今の日本社会は、実は国外にまでその信用範囲を広げているということなんです。で、今回は信用のもとにやっていたら、そこに悪いヤツが付け込んできた、ということなんですよ。事件の真相究明は大事ですよ。でも、シナが悪い、日本が悪い、ということは、実はどうでもいいことなんです。今後、日本はシナ産からの輸入食品に対しては、検査・監視を強化する方向に進むでしょう。もちろん、日本への輸出が外貨獲得の大きな資源になっているシナにしてみても、信頼されないのは困るから、そちらだって監視体制を強化すると思います。で、その結果は、結局、社会コストが上がるということなんです。そこに張り付く日本の役人がいるわけですから、その行動の原資は税金から出る。そして、その税金から出た検査体制のお陰で、商品自体にコストもかかるようになる。つまり、税金と商品価格の二重の社会コストが発生するんですよ。
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例えば、日本が自分で本当に食ってゆけない程度の潜在的生産力しかないのなら、これは話は別です。そういう国は、外交達者にならざるを得ない。しかし、日本は1億人くらいは余裕で食っていけるだけの潜在的生産力があるわけです。こういう国なら、別に外交が下手でも構わない。食えるんだから、それでいいはずです。食えるのに、都会人のエゴと欲望で、より安いものを購入しようとして、世界中からモノを集めてる。しかし、そこの国々を容易に信用してよいものか、ということが、今回の事件の本質だと思うのです。
信用しない、というのではなく、結果的にできるできない、ということだと言ってもいい。シナの場合、日本とはかなり衛生感覚も異なるわけで、そういう国から食品を輸入することは、ある意味では勇気のいる行為だと思うのです。つまり、信用するのに勇気がいる、というのは、その勇気が裏切られたら一気に社会コストが上がりうるということを示しているわけです。これは、シナが悪いとか、そういう話じゃない。
つまり、社会的な信用の範囲は、ある程度、適正なサイズがあるということだと思うのです。そりゃ経済的に見たら、モノはお金という記号に変換されるから、そんなもの信用の範囲は無限ですわって言うでしょうよ。だけど、実際にはカネは食えないし、結局、食べられるモノ、使えるモノに置き換える必要がある。その「モノ」については、信用の適正な範囲が存在すると思うのです。
それが国家の適正な規模だし、あるいは、貿易を行う場合の、協定の範囲だと思います。そういう観点では、日本は鎖国した方が実は安上がりなんだと思うのです。だから、徳川幕府鎖国をしたんでしょうな。もちろん、今のご時世に鎖国なんてできませんが、鎖国政策の中をもう一度、吟味してみるのは、役に立つ話だと思います。シナだって、あの大帝国を維持するために、多くの王朝は鎖国をしてたということも、興味深いと思いますし、実は丁寧にシナ史を紐解くと、単一王朝が支配していた時期よりも、分裂していた時期の方が長いという人もいるくらいです。それは、実はシナ大陸に単一政権があることは、そもそも社会コストが大きすぎるということを示している気もします。
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結局、こういう問題は、最後のところ、都市化の問題に行き着きます。もちろん、田舎賛美原理主義もよろしくないとは思いますが、都会の人は、すでにその環境自体が都市原理主義だということを改めて、考えてみてはどうかと思います。
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