だから、本村さんに敬意を表します

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私なら、本村さんのように振舞えただろうか、と思います。生きていく気力を維持できるのかどうか、私には全く自信がない。
昨夜、ニュースで本村さんの会見を見たのですが、今後どのように?という質問に対する、彼の以下の言葉が、とても印象的でした。
「私は会社員ですから、労働をし、納税して、日本国民として恥じないように生きてゆきたい」
人間の誇り、尊厳というものを実感しました。
しかし、マスコミというのは、何故にあんなに無残な質問をするのでしょうかね。死刑に対するハードルが下がったんじゃないか?と聞いていた記者もいたそうですし、さらには奥様とお子さんにかけた言葉を教えて下さい、なんて普通聞けないでしょ。そこにさらに腹立たしさが残りました。
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ついでに言うと、今朝の朝日の社説がひどい。
「母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら」
http://www.asahi.com/paper/editorial20080423.html#syasetu1
最後の一文は、別に裁判員制度導入云々を抜きにして、常に考えるべき内容です。

自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。

ここには異論はない。だけど、ここはどうなんだろうか。

見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。

私は、これでいいと思う。そもそも、言論の自由を標榜している国家である時点で、放送という表現の展開手段に対し「中立」を求めることが間違っているんです。ここでも、いかにも朝日新聞は中立を保っているかのような振る舞いをしていることが、欺瞞だと私は断じます。
さらに、この文章では「殺意や強姦目的だったことを否定した」ことへの非難だとしてますが、そうじゃない。その「否定」のために持ち出したエセの「物語」の内容が、あまりに被害者、そして今後被害者になる可能性のある多くの国民の反感を買ったということですよ。こんな事実を捻じ曲げた社説づくりは、今回限りにしてもらいたい。
朝日新聞は、どちらかというと加害者側の人権擁護に立った論理を展開していることが多いと思います。これは、言い換えると、自分も何かの拍子に加害者になる可能性がある、ということを考えているということです。これは確率ゼロの話じゃないから、こういう立場からモノを考えることは間違っていない。しかし、国民の大多数は、自分も何かの拍子に被害者になる可能性がある、という立場からモノを考えている、ということです。少なくとも、私は後者です。
朝日新聞や人権擁護派の方々には、ここはしっかり認識しておいてもらいたいと思います。 ****
とはいえ、死刑の賛否については、この問題とは別に議論していい。私は、死刑賛成派です。やはり、死刑があることによる抑止効果は大きいと考えます。もちろん、死刑を存続させることで、逆に死刑に値しないような犯罪が増えるということもあるかも知れません。そのあたりは、短期間で答えが出るわけではない。世界の例、歴史の中から得られたデータもあるでしょう。それをしっかり吟味すべきです。単純な感情論だけではない。
一つ考えなければならないのは、死刑があるということは、死刑を執行する役目の人がいる、ということです。自分がその役目に当たる、ということを考えると、私も心が揺らぐ部分がある。
この問題は、社会が存在する限り、離れない問題の一つです。正解はないと思います。だから、その時々で考えていくしかありません。そういう意味では、裁判員制度の導入は、みんなが考えるよいきっかけだと私は考えています。
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