気が狂ったみたいですw

各所で取り上げられると思いますけれど、あまりにも面白いので、私も参加したいと思います。
君が代判決 教育に刑罰は似合わぬ」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060531.html
もうツッコミどころが満載なのですけど、とりあえず数点に絞ります。

式が始まる前の会場で、保護者にビラを配って、「国歌斉唱のときに、教職員は立って歌わないと戒告処分になります。国歌斉唱のときは、できたらご着席をお願いします」などと大声で呼びかけた。教頭や校長が止めようとしたところ、「触るんじゃないよ」「なんで教員を追い出すんだよ、お前」などと怒号し、会場を騒がせ、式の始まりを2分遅らせた。

朝日新聞の入社式の会場で、朝日新聞のOBの稲垣武氏が、入社式に入ろうとする関係者に自著の「朝日新聞血風録」のコピーを配り、「朝日新聞は言論テロ集団です。入社はやめましょう」と呼びかけ、会場を騒がせたりしたら、朝日新聞の関係者はどう対応しますか?
(まあ、稲垣武氏がそんなことをするとは思えませんけどね)

しかし、だからといって、暴力を振るったわけではなく、起訴して刑事罰を科さなければならないほどの悪質な行為だったとは思えない。まして、懲役刑を求めた検察の見識を疑う。

懲役刑を求めた検察の見識を疑う朝日新聞の見識を疑いますw。思想・信条・内心の自由と、行動の自由は違うでしょうが。デモ行進なんかは好きにやってくれたら良いと思いますよ。でもね、朝日新聞の大好きな憲法には、何て書いてあるんでしたっけ?

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

この藤田某という野郎は、12条と13条に反する行為を取ってるんですけどね。たまたま、式典会場にいた「日の丸・君が代」を尊重する人たちは、コイツに対してその場で怒号を挙げて反論しなかっただけです。大人だからでしょう。子供たちの式典で、大喧嘩なんて恥ずかしいでしょうが。その「大人」が「公共の福祉」を考えた行動を逆手にとって、自説を大声で張り上げるヤツは、民主主義の敵。懲役刑に相当しますな。

外からやって来て卒業式を妨害する者はただちに警察に突き出すしかない。それが都教委や高校の論理だろう。
しかし、教育のプロである教育委員会や高校が、学校で起こった問題をすぐに捜査機関に委ねようというのは安易ではないか。そうした教える側の態度は、生徒の目にはどう映るだろう。

街宣右翼が入ってきても、同じことが言えますかね。教育に関する議論が招いた問題なら、捜査機関とは無縁でしょう。しかし、この事件は、明らかに威力業務妨害でしょうが。教育と何も関係ないし。また、むしろ、教育上、よい効果があると思います。思想の押し付けは、民主主義の敵であり、民主主義国家では原理主義として排除されるべきものだ、と教えることにもなる。いいことづくめじゃないですか。

元教師のような行為を二度と許さないというのなら、相手とじっくり話し合って解決の道を探ることもできるはずだ。

本気かよw。朝日が「話し合い」という言葉を使うときは、相手に一方的な譲歩を求めているときなんだよね。あのね、「話し合い」では解決できない問題があるから、民主主義というシステムがあるんです。相手の意見を尊重しつつ、それでも現状の問題を解決しようと思ったら、できるだけたくさんの人が支持する手法を選ぶ方がロジックとして辻褄が合っている。で、相手の意見を抹殺するわけではないでしょ。言い続けても良い。しかし、みんなで決めたルールは、そのルールが廃止されるか、変更されるまでは守りましょう、ということでしょうが。だから「このルールを変更・廃止しない」というルールは作ってはいけない。ルールは、常に変更・廃止されることが担保になっているんです。
現行の日本国憲法下で藤田某に対し合法的に認められる行動は、次の通りです。
・公立学校からの来賓要請を断る(君が代・日の丸を歌わない権利の行使)
・公立学校での国旗掲揚・国歌斉唱のルールを改めるべく、運動する。
・自らの思想信条に基づいた学校を設立する。
これだけの合法的な行為が認められているのに、わざわざ威力業務妨害に出たのだから、懲役刑の求刑は当然だと、民主主義者の私は判断します。
結論:朝日新聞は民主主義を否定する新聞社である。(ま、毎回、この結論だけどw)