戦前戦中は本当に皇国洗脳国家だったのか

私の(勝手な)盟友の一人であられる「Dr.マッコイの非論理的な世界」のマッコイ博士(id:drmccoy)の昨日のエントリー「■ [時事] サイパンでの慰霊」http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050630/p1 に、懐かしい名前を拝見いたしました。noharraさんという方。以前、拙日記にもご来訪頂きまして、昭和天皇陛下に戦争責任あり、と論じておられました。ざっくり言えば、この点では菅直人と同じようなご意見の持ち主とご紹介しておきましょうか。
で、そのnoharraさんが、マッコイ博士の日記にバンザイクリフでの民間人の多数の死亡について、次のようなコメントをされていた。

バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。

あまりにステレオタイプな見方だと、私は思います。これこそ、戦後の人民史観、左翼史観による洗脳だと思います。
まず、戦前戦中の日本はどういう社会だったのか。軍国主義だのファシズムだの言論弾圧だの言われていますね。為政者が民衆を抑圧していた時代だったと。
ところが、実際はそうではなかったようです。
山本七平氏の著作に「昭和天皇の研究」があります。これは題名とは違って、実際は「昭和初期の日本社会の研究」として捉えた方がよいと思うくらいの名著だと思います。これによると、戦中であっても日本には言論の自由があったことがわかります。山本氏は、当時の政府や軍部に反論した人物として、尾崎行雄美濃部達吉津田左右吉の三氏を挙げている。つまり、正当な民主論や、法治原則による立憲君主制の主張や、日本の神話は実在の歴史ではないとした考え方は、存在したということです。
もちろん、存在したことと、それが広く受け入れられたこととは話は別です。しかし、彼ら三氏はいずれも罪人扱いにはなっていませんね。つまり、国論の主流とは違う意見を言っても、その存在を抹殺されるほどではなかったということです。
さて、戦中には大政翼賛会一党独裁になった、と言いますが、まずこれが独裁政党であるか、というと、本質は違う。戦争遂行に向けた挙国一致体制の形成であった、と見る方が正しいと思います。戦争が起こってしまえば、何とか負けないように運営するしかない。国内で論争している場合じゃない、という状況であったということでしょう。何より、大政翼賛会の形成は民意によるものであったということが非常に大事です。つまり、戦中でも代議制民主主義は形式上機能していたということです。
では、アメリカと戦争を行うに至る原因は何だったのか。それは、アメリカの徹底した反日政策によるところも大きいと思います。アメリカ国内では日本移民を排斥する法律を次々に作る。対日外交では、日本のシナ権益をことごとく潰そうとする。そういうアメリカの行動に対し、日本国民が反発したということが挙げられるでしょう。だからこそ、アメリカと戦争をしよう、という内閣が形成されたわけです。で、その世論形成は、当時のマスコミ(新聞)が行ったんですな。戦前の日本の新聞は、常に国民を戦争に煽り立てる役回りをしてきたようです。日露戦争然り、その後始末のポーツマス講和会議然り、シベリア出兵しかり、満州事変然り、日中戦争もそうですね。でも、マスコミに全ての責任があったとも思いません。結局、国民の判断によって、戦争を選択する内閣が生まれた事実は変わりませんからね。
つまり、A級戦犯だの言ってる戦争責任は、そういう意味では国民の責任でもあると言えます。だから、日本国民が当時の政権担当者に対し、敗戦責任を問うのは当然と思いますが、外国から戦争責任を問われるのは、筋が違いますね。
さて次に、果たして皇国洗脳教育はあったのか、という点を考えてみようと思います。
まず、結論から言えば、あった、と思います。
それは昭和一桁世代の方々が小学生時代に受けた教育がそれに当たると思います。つまり、それ以前の世代は受けていないということです。ですから、戦地に赴いて、兵隊として戦った方々は、そういう洗脳教育を受けていない人がほとんど、ということになりますね。
実際、司馬遼太郎さんは、最近文庫版で出版されている「司馬遼太郎が考えたこと」の6巻の中にある「人間が神になる話」で、次のように述べています。

もし私が小学校高学年か中学生の頃に
天皇は神様だ。
というようなことを言ったとすれば、漫談でもやりはじめたかと同級生が大笑いするにちがいなく、およそ年頃の子供でもそんなことは信じておらず、まして「天皇は神ではない」ということをわざわざ言う者もいなかった。天皇が神であるのか人間であるのかというような議論など成立するはずがなく、たれもがごく自然に天皇は人間であられるとおもっていたからである。現人神とか御稜威(天皇の神秘的威光)という言葉は国の時間に単語としてならったが、生きた口語には入って来なかった。国語の時間にそのような言葉をならってもそれは美称であって天皇が神であるとはどの子供も思っていなかった。

さらに

じつをいうと私は青年期になっても、天皇が人間でなく神さまだと信じている友人に出遭ったことがないのである。私は学校の途中で軍隊にとられた。兵役期間の半ばごろ私が赴任した連隊は将校も下士官もほとんど正規軍人で、学生あがりの私どもはほんのわずかという戦局悪化の当時としてはめずらしい部隊だったが、あのころの上官や同僚や部下はみな天皇が神で人間でないと信じていたのだろうか。私はそうとは信じられないのだが、しかしそういう話題が私的な場で出たことがないために、いまとなれば知るよしもない。

また、

逆説的にいえば天皇が神であったということを知識としてもっとも強烈にもっていたのは、日本を占領下においてその責任者となった連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥だったかもしれない。
天皇はモーニング着用の礼装でかれを総司令部に訪問した。マッカーサーは略装のままならんで写真をとった。昭和二十一年一月一日、天皇詔書渙発し、自分は現人神ではない、人間である、と宣言した。有名な人間宣言である。総司令部が、日本を「民主化」するためにそのように仕向けたにちがいないが、これは勇み足であったかもしれなかった。なぜなら天皇を敬愛していた人も天皇に無関心であった人も、はじめから天皇は人間であることを知っていたからである。宣言が出てびっくり仰天したような人はいなかった。ただ天皇をかさに着て猛々しく国民に向かって権力をふるう連中がもう出てこないだろうちいうことを感じた程度である。

長く引用しましたが、ある一握りの世代(昭和一桁生まれ)を除いて、ほとんどの日本国民は、天皇=神とした皇国洗脳を受けていなかったということを、本来がジャーナリストでもある司馬遼太郎さんが証言されているわけです。
つまり、天皇は当時も大日本帝国の「象徴」であると考えられていたということですね。日本は政治的にはどのような国ですか?と聞かれたら、立憲君主制を取っていて、その君主は天皇と呼ばれています。天皇家は古くは2000年近く前の神話時代から継続すると言われ、少なくとも西暦700年前後から続く家系です。その天皇家を君主に頂く立憲国家です。と説明したことでしょう。英国の女王(王室)が英国の象徴であるように、大日本帝国においても天皇は日本の象徴であったということです。普通、こんなことは憲法に書いたりしませんがね。だから、今の日本国憲法の方が面妖なんです。
つまり、天皇陛下万歳とは日本国万歳と同義であった、ということです。多分、現代の英国軍の兵士は、女王陛下に忠誠を誓う、と言うはずですよ。女王陛下に忠誠を誓う、と言うことは、国内の政治的立場を超越して英国民に忠誠を誓う、という意味ですね。これは立憲君主制の良いところだと思います。国民という抽象的なものではなくて、国家を象徴する具体的存在がある、というのは、抽象思考が苦手な人たち(私もそうですが)にとって理解しやすいからです。
以上から考えれば、皇国洗脳教育のなれの果てがバンザイクリフの大量自殺の原因ではないと思います。やはり、それはマッコイ博士の書かれたとおり、米軍の攻撃が一番の原因です。だいたいどんな思想統制をしていようが、攻撃者がいなければ住民が追いつめられることもありませんからね。
でも、確かに普通なら捕虜になったり、非戦闘員なら相手に保護を要求することもできたはず。
と思うのは、やっぱり今の時代からモノを見ているんですな。
すでに南太平洋戦線では、日本は米軍の圧倒的な物量を前に、真っ向勝負ができる状態ではありませんでした。日本軍は、ゲリラ化して戦っていました。ゲリラとは、要するに非戦闘員のような振りをして実は戦闘員である存在、とここではざっくり定義させて頂きます。そして、米軍もそのゲリラ攻撃に、サイパン以外の各所で苦しんでいました。このことから、米軍に素直に白旗を挙げても、米軍がおいそれと信用してくれるかどうか、となると、これは恐らく米軍は信用しなかったと思います。だから、非戦闘員たるサイパン島の日本人住民は、結局自決する以外に道がなくなってしまったわけですね。
さらに言えば、物量差と見せつけられ、士気の低下する軍や住民を叱咤激励するために「生きて俘虜の辱めを受けず」と、前線の司令官が言ったことは十分考えられるでしょう。軍隊とは、兵器の信奉者です。相手との兵器能力差が圧倒的であることに気が付けば、士気は間違いなく低下します。しかし、軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。負けるのは仕事じゃない。上官としては、何とかして勝ち戦にしなければならないわけです。それが軍隊の存在価値ですから。
となると、サイパンで大量の犠牲者が出た日本側の原因は何か。
一つは、前線において圧倒的な戦力差を作ってしまった、軍の作戦指導部の無能があるでしょう。また、多方面作戦を実施したことで、兵力分散という軍事上最も忌避されるべき状況を作り出してしまったことも大きいと思います。これが前線での圧倒的な戦力差の原因と言えますね。さらに言えば、こういう状況に陥る羽目になった、それまでの外交の問題があります。私は、日本が太平洋戦争へ転落するきっかけになったのは、第一次世界大戦だと思っています。第一次世界大戦の時、日本はまだ日英同盟を堅持していました。しかし、日本は第一次大戦には兵を送らなかった。その結果、英国は日本を信用に足る国ではないと思い始め、そこを日本が持つシナ利権を奪い取ろうと考えていたアメリカに漬け込まれたのです。英国という世界の強国が背中に付いていれば、太平洋戦争に突入することはなかったはずです。
こうして見ていけば、天皇陛下に敗戦責任などあるわけがないことはわかるはずです。
戦争主導した内閣や軍部を批判した人は、実際にいた、のです。しかも、当時の国民なら誰もが知る大物(尾崎、美濃部、津田、全て超級の著名人)が批判していたのです。だから、言論統制もなかった。また、天皇憲法上無答責であり、そのように運営されてきたのです。
以上から、A級戦犯だとか陛下に責任がある、と考えるのは「権力者」と「人民」を分けて考える、マルキストの公式論に他ならないのです。
また、天皇を神、あるいは絶対的独裁者であることを国民が信用していなかったことは、実は2.26事件が証明しているのです。事件の首謀者は天皇陛下に「もっと堂々とした独裁者となれ」と求めていたのです。彼らはクーデターを起こそうとしたわけですから、現状打破が目的だったはずです。でも、彼らの要求は、当時の日本の主流の考え方ではなかった、ということなんですね。しかし、世論は2.26事件に同情し、マスコミもそれに同調。こうした国論の状態が、軍が皇国洗脳教育を実践し始めた理由にもなっていると思います。
ということで、洗脳教育のせいだ、天皇陛下のせいだ、と言うのは、非常に簡単な、かつ無責任な考え方です。私たちの今後に役立てるには、私は次のことを考えるべきだと思います。
1.第一次大戦に参加しなかったために、用兵・兵器の技術革新に遅れた軍の無策・無能ぶり
2.軍事力の日米欧ソ比較を一切報じなかったマスコミの体質。
あれから、私たちの社会は、1や2を考えているだろうか、と思っています。日本の大学に軍事を勉強するところが一つでもありますか? 本来、歴史上の戦争というのは、大いに研究対象になって然るべきものです。何も、士官学校(日本なら防衛大)が独占する必要はないはず。戦争を考えることは、戦争を未然に防ぐために、絶対に必要なことですからね。先の大戦についても、戦争責任は天皇にあり、A級戦犯にあり。俺たちにはない、とあっさり切り捨ててしまったら、何の教訓も得られません。得られるのは「誰かに罪をなすりつける無責任体質」だけです。