皇・王・帝から考える

どうでもいいような気がするが、実は大問題なのである。
皇帝と王様の違いは何か? 実はそこが問題である。現代は過去からの歴史の結果なのだから、昔のことだから、という一言で片付けてはならない。私はそう思う。いや、そう思う私は多分、性格的にしつこいのであろう。
「帝」という字がある。私も頻繁に「昭和帝」「明治帝」という使い方をするが、本来、「帝」とは動詞である。束ねる、という意味である。この辺りのことは、渡部昇一氏の各種著作に詳しい。私もそこから得た知識である。つまり、「帝王」とは「王を」「帝する(たばねる)」という意味である。では、「王を」「帝した」のは誰か。漢字を使う東アジアの文明社会では、秦の政が文明史上初めて成し遂げた。それまでは、王が王を滅ぼすことはあった。もちろん、秦王としての政も、多くの王を滅ぼした。しかし、中には秦に隷属することを条件に生き残った王もいた。その結果、政は「王を」「帝した」「王」になった。そこで、「王」に光と輝きを示す「白」を冠にした「皇」という字を作った。これが「皇帝」の起源である。つまり、「帝」という字にはむしろ「王」という意味はなく、「皇」の字に「王をしのぐ王」という意味がある。だから、帝王学とは「リーダーになるべき人の学問」という誤解が生じる。帝王学とは、「王を」「帝する」ための学問である。現代語で言えば、リーダーをさらに束ねる人のための学問であって、その辺の株式会社の社長の御曹司が受けるような教育のことは指さない。
それを考えると、アレキサンダー大王は「大王」であるが、「皇帝」ではない。アレキサンダーは行く先々で王を滅ぼし、直轄領にしたからである。王を束ねていない。しかし、偉大なる王である。だから、大王である。
ローマは欧州社会で最初に登場した「帝国」と言われる。何故、帝国か。国を「帝する」国だからである。直轄領のみを経営したカエサルまでは、皇帝とは言われない。エジプトを国家として認めつつ、ローマの支配下に置くことで、初めて他国を「帝」したから、アウグストゥスは皇帝となったのである。ちなみに、日本では悪しき名である「帝国主義」であるが、これは「他国を国家として認めながら、それを帝する思想・主義」のことである。だから、本来、インドを英領と考えるのはおかしいのである。インドは、英国の支配下および隷属下にあったのであって、その地位は英国と同じものではない。あくまで「帝」された国なのである。一緒くたに「植民地」とされるが、英領・インドや蘭領・インドネシアを日本領・台湾と日本領・朝鮮半島を同じにしてはならない。日本は、台湾・朝鮮半島を日本本土と同水準のインフラを建設すべく努力した。これは「帝」の発想ではない。まあ、そこは置く。本来、当時を示す言葉は帝国主義ではなく、覇権主義であろう。大日本帝国はどうなのだ。帝国ではないか。他国を「帝」するつもりがあった証ではないか。その通りと思われる。そうする国(「帝する」国)が、世界の一流国家だった時代なのである。だから日本は「帝国」と名乗った。だからこそ、当初は世界からバカにされたのである。日本が、世界から如何にバカにされていたかは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の3巻あたりを読めばよかろう。
さて、日本ではローマ「法王」である。これが如何に無知をさらけ出した呼称か、を気付かぬ人は多い。正しくはローマ「教皇」である。「皇」である。ローマ教会は、4世紀になってローマ帝国の国教となった。以後、帝国のローマは分裂・滅びたが、教会は存続した。ローマの権威を、帝国に代わって継承したのが教会である。だから、後に欧州に出来る国は「王国」なのである。キリスト教信者の「王」が治める。王は、その地を治める根拠を教会に求めた。これが「王権神授説」である。この「神」はキリスト教の神である。キリスト教とローマの権威によって、「王を」「帝する」存在になったから、漢字で書けば、「教皇」なのである。法王という表現は、彼らおよび欧州の歴史を軽んじているとまでは言わないが、理解していない表現なのである。だから、ナポレオンが何故「皇帝」なのかが分からない。多くの国を支配したからではない。ナポレオンは、自らの戴冠に際し、ローマ教皇の権威を認めなかった。だから「皇帝」である。
では、我が国はどうか。「天皇」である。「天王」ではない。よく、これを「当時の日本人が、シナ皇帝に背伸びして見せた」という浅はかな回答をする人間がいる。全く、異なる。天皇という呼称があった当時、日本には「豪族」と呼ばれる「王」がいた。彼らは「王」を名乗っていたのである。そして、天皇家は当時「オオキミ」すなわち「大王」と呼ばれていた。つまり、王の中の大きなるもの、という程度であり、相対的な評価が可能なほどな存在だったのである。それが、聖徳太子期あたりから、ある王は征伐し、ある王は従えることによって、天皇家は強大になっていったのである。それを、シナの古典に精通した人間がおり、「皇」と表現したのである。状況の近似がそこにあった、ということである。よほど、昔の人間の方が、歴史に敏感であったようである。
だから、その歴史に鑑みて、ローマ教皇と呼び、天皇と呼ぶ。今はそういう国や王を帝する時代ではない。しかし、その時代があって、今の自分たちが存在する。そのことを、欧州の人間は知っているし、一昔前の日本人も知っていた。継続・継承こそ、無形の文化であり、文明であることを、知っていたのである。何故なら、継続・継承されなかったものは、残らないからである。ローマの文化は、教皇が存在することによって、人々の心に今も残る。日本の文化は、天皇の存在によって、やはり人々の心に残る。いや、そんなことはない。そう言う人もいる。しかし、人文科学は実験が出来ない。教皇を絶やしてみる。天皇家を断絶させてみる。そういう実験は、できないのである。それを、昔の人々は知っていた。だから、ローマ教皇天皇も、俗世の実権がなくなっても、その存在が絶えなかったのであろう。天皇に至っては、俗世の実権を失ってから、1000年以上経つではないか。
不思議なことに、そのどちらも「男性」によって継承されている。これを「男女平等」を理由に攻撃する勢力がある。しかし、これは余りに無知な見解である。ローマ教皇天皇も、どちらも宗教の長であることに気が付いていない論だからである。教皇が何故、男か。イエスには子が無い。イエスを産んだのは、処女・マリアである。イエスの父は神である。そして、イエスは神である。父である神と、子であるイエスと、そして聖霊は三つとも神である。これが三位一体説である。この中で、実体が存在したのはイエスとマリアだけである。実体であるイエスを産んだのは、これまた実体であるマリアである。今のローマ教会は、マリアを聖なる者とする。マリアに聖性を認めない宗派があった。ネストリウス派であり、これが唐の時代のシナ大陸に来て、景教と呼ばれる。それは置く。実体としてのマリアの聖性を認めるローマ教会において、女性の教皇が現れない理由は容易に理解できるであろう。女性教皇は、そのままマリアの実体化に相当するからである。マリアは、処女なのにイエスを産んだ。女性教皇は、当然、今の教皇継承のルールから考えて、処女であろう。しかし、マリアは処女でイエスを産んだ。もし、この処女である女性教皇が子供を産んだら、どうなるのか。女性教皇はマリアであり、子はイエスか。これが新たな、かつキリスト教という「御家」にとって、一番厄介な「相続問題」にあることは誰しも理解できよう。だから、マリアをこれ以上を作ってはいけない。キリスト教にだって、当然のことながら「始祖崇拝」が存在している。
日本の天皇家では、アマテラスとアメノオシホミミが「天」にいた「神」であった。女系・母系は「神」が行う継承の方法であり、ニニギ以降、地上の者は男系・父系で継承する。ここにも「産みの親」としての「母」が強調されていることがわかる。ローマ教会と日本神道の共通点は、「母」を崇拝する「始祖崇拝」の形式を取ったことで、宗教的な相続問題を回避したのである。男女同権・男女平等による、女系(母系)天皇容認などは、宗教を全く理解しなくなった現代人の驕りである。なるほど、女系容認論を吐く人間は、概ね、首相の靖国参拝を問題視している。宗教への無知・無理解のなせる業であろう。
歴史を知ることは、結果的に宗教を知ることである。古来、人々はその信仰を拠り所として生きてきた。それは、実は今も変わっていない。無宗教だ、という人は、実はその「無宗教」が「無宗」教であることを理解していない。理解していない分だけ、無知でもある。本人は、宗教を信仰する人間を嘲笑いながら、実は自身が今までの歴史に無い新興宗教である「無宗」教を信仰していることを知らないだけであろう。天皇家ローマ教皇の「男系継承」に異議があるのなら、本来、別の「天王家」や「ローマ法王」を建てるべきである。有栖川宮家や又吉イエス氏にでもご協力をお願いしてはいかがだろうか。